2020年12月29日火曜日

メモ:写真を撮る作法

以下のようなこと考えてちゃあ「小っさいなぁ」
アーティスティックな写真雑誌IMAの特集:ヴィヴィアン・サッセン、その鮮烈なるビジョンをウェブでサクッと見ても、真似もできないほど斬新。もし雑誌を買っても、真似するしか僕に能はなさそう。水原希子が大好きという茂木モニカという写真家にも少々ビックリ、今の若手で飛び抜けそうな人たちはフィルムカメラを使っている人が多いね。

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昨日、今週の熱海一泊旅行で撮った写真を少しブログにアップする作業をして「なんだか、面白い写真がない」ので凹み気味。
少し前から不安・不満に思っているのは「これからどんな写真を撮るのだろうか?」ということ。

僕が目指す写真・その被写体は、特別な風景や特別な人ではなく、普段の光景を切り取りながら、普遍的な原理だったり、本質のようなものだったり、存在の理由だったり、そういう物が見えてこないかな?ッと思っている。

思いもかけず撮った写真が面白かったりする、なにか本質のようなものが写っている、、、これヒント、撮影作法として、、、
どこまで「見切るべきか?」、何を撮るかを決めるのは写真家か?
思いが入った写真はなんだか透けちゃって、魅力が長続きしないんだよね。
「何を撮るか」「どう撮るか」で分けると、「どう撮るか」が作法で、そこで作者の意図が見え透いちゃうと、「何を撮るか」が魅力的でも半減するんですよね。
イメージは言葉を超える(べき)とか、拒絶するとか、語れるものは写真にする必要はないとか、

突破口というわけではないけど、富士のGF63mmへの思いが再興。多分使い始めても3ヶ月ぐらいで同じ気分になるだろうが・・・逆にそれほど今使っているGF50mmが魅力的でもある。

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