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2016年11月10日木曜日

魚眼パノラマ練習は続く

昨日スマホで「トランプ情報」を見ながら、魚眼パノラマの練習を続けていた。まずは自分が90年代から2000年にかけてパノラマ・フィルムカメラで撮った写真を引っ張り出してみたりしながら「ものの見方」をパラダイムシフトさせることから始め、間合い(被写体との距離感)、どういう被写体が魚眼パノラマと相性が良いか?などとにかく撮って処理してみるという作業工程の練習まで・・・
他、このところオリンパスE-P5+8mm魚眼ばかり使っていたが、正直マイクロ・フォーサーズ1600万画素の画質では不満もあり、本命魚眼パノラマセット=EOS5Ds+8~15mmズームの使い勝手や、持ち歩く場合のバッグとの重さ・相性・使い勝手などの実証testなど含めて。知らな買った僕が馬鹿なのかもしれないが、オリンパスE-P5ではHDR用の連写をする設定はあっても、カメラ内部はもちろん純正現像ソフトにもHDR合成機能はない、ところがEOS-5Dsにはカメラ内HDR合成機能があるじゃありませんか~!しかしながら、HDR合成処理に結構時間がかかってBusy状態が続くのと、HDR機能を呼び出すのがメニュー経由でしかできず、クイックセットメニューに呼び出し登録をすることもできない、さらにHDR連写はその性質上ミラーアップ状態で最速の連写が望ましいのに、いちいちミラーが下がって・また上がってを繰り返すという「なんだかなぁ」の部分も発見。



































2010年5月20日木曜日

NEXの大きさ比較


左からNEX5、NEX3、オリE-PL1、パナGF1、
ちなみに、NEX5はM氏好みの24mm相当=かなり広角レンズ付き、
NEX3とオリはパンケーキじゃなくて標準ズームのよう、
一番右のパナは、明るい(F1.7)のが特徴で、好評の40mm相当=広角気味標準。
比較画像は価格コムの「クチコミ」から拝借。

2009年8月24日月曜日

夢レコ:散々な仕事

昨日は、お昼御飯=回るお寿司を食べ過ぎ他で運動する気も起きず不健康のきわみ、、、、リアル。
そのせいか?、他のせいか?、夢も最悪に近い夢。
O社という取引先で映画を見せてもらう。マイナーな映画なのでO社の大きな会議室で内輪の鑑賞会の風情、、、とは言っても数十人は参加している。テーブルも決められていてそこには食べ物を用意されているのだが、カッパ海老せんとか折箱に入った餃子とか、、、
スクリーンはB全の紙を壁につなぎ合わせ張られている。
終わってそそくさと、ギターケースに収めた取材ストロボセットと黒いテンバを持って仕事に出発。Pという雑誌の取材で編集者:女性の運転(荒っぽい)する車で韓国陶器のお店へ着くが、忘れ物に気づく=ギターケースのストロボセットとメディア、ちなみにメディアが入っていなかったカメラはニコンF3なのにデジカメ。ストロボは無くても仕事出来そうだがメディアは近くのカメラ店で買ってこようと、少し時間をもらう。お店の場所は千種区仲田近辺、今池の大きなカメラ店へ行くか?池下のメディアがあるかどうか微妙な近いが小さなお店に行くか?迷いながら歩き回る。時間ばかりが過ぎて焦るが、取材先の店に戻ると店の前の歩道に、ギターケースと黒いテンバが放置されている、、、車から降ろして忘れたようだ。メディアは黒いテンバに有り、真新しいニコンF3型(20数年前の愛機)デジカメのメディアスロットに納める。レンズは105mmF2.5 (やはり20数年前愛用)。お店では取材が進んでおり、撮るべき陶器と「こんな感じで」と指示されるが、その陶器も周りの置かれている他の陶器も壊れ易いので注意するよう言われる。丁寧に両手で扱いながら、どの角度から撮るといいのか?考えたり、どの場所に奥と収まりがいいのか探っていると、「焼き物」のはずの陶器の器が粘土のように柔らかくなって形が崩れ始める。その旨を説明しながら、机の上に置いて崩れる前になんとか撮影。次は陶器店の息子が作ったガラス工芸を撮影との依頼、こちらはかなり具体的な撮影方法を指示され、かつその指示はセンスもいい適切なものだったが、適した場所も光もなく、時間ばかりが過ぎて行く。105mmでは寄りが足りないし、、、、編集者のアシスタントのようについてきた若い女性に「その程度でいいから、速く撮ってください」と言われ、「あなたは誰?」っと問うと「入社、何日め」と答える、そんな駆出しに「ああこう」言われ、心の中で「お前なんか首だぁー」と叫ぶが、なんと言っても相手は編集部の人間。不明の点があり、車を運転して来た女性編集者を探すが見つからず、P社へ電話する。編集長が出るが新任の編集長で、僕のことを知らず、僕は伝言を頼むべき女性編集者の名前が出てこず、まったくらちが空かない。
困ったなぁと店に戻ると、昔なじみの女性編集者がそこにいた、、、

2009年3月12日木曜日

気分がのれば撮る、のらなければ撮らない、では全然ダメ

12日夜8時から、BsHiで「森山大道特集」
まだ今もやっているが、見ごたえがある。
「気分がのれば撮る、のらなければ撮らない」では全然ダメだそうだ。
一月、最低100本(多分、36枚撮りフィルム)だそうだ。
(東京工芸?大学での特別講義にて)
僕は、全然ダメかもしれない。
森山さんにお願い!
世界各地の都市を撮り歩いているそうだが
是非、ヴェネツィアにだけは行かないで、お願い。

まだやっているので、2時間番組?
当然、録画している!
前半で、印象的だったのは
1968年、10月21日の国際反戦デーを浪曲に仕立てて歌っていたオネーさん。
かなり、良かった、、、というよりとても綺麗な人で
Cちゃんのお姉さんにちょっと似ていた。
、、、調べました!
その人の名は、玉川奈々福
http://tamamiho55.seesaa.net/

追加情報、4月4日浅草木馬亭で、
僕が今日の番組で感動した「新宿お七」を演ずるそうだ。
モロモロ許せば行きたいな、まだ「テオ・ヤンセン」もやっている期間だし。
http://www.hibiya-patio.jp/theo/

そう書いていたら、番組が終わった=1時間半番組。
もちろん録画はしてあるが、
この番組か、この番組の元になった番組か?
3月15日夜、NHK教育で再放送をするはず。
http://www.nhk.or.jp/etv21c/index2.html
お見逃しの方は、ぜひ。

後半で印象に残った言葉は
珍しくデジタルカメラを使っている時の「カリスマ」のお言葉
「ポラロイドで撮ると、撮った瞬間それが過去になる、、」
「デジタルカメラでは、そうでもない」
言い得て妙、森山は天才か?
1972年ごろ?、僕はその天才が都立大前だったか?学芸大前だったか?
木造のアパートを事務所にしていた頃
そこを訪ね、現像液を溶くだけでもいいから
助手にして欲しいと、無謀な事をしたと思い出す。

2009年1月21日水曜日

HCL現像所の集配営業が終わった。

サンフランシスコに住むJudy、
彼女から住所を知らせるメールが届き
写真集を一冊送った。
僕が彼女の今の住所を訊ねたメールに
Congratulations "change" todayと打ったら
Thank you! This is a great day for America! We have much hope for the future of our Country and the whole world!
と返してくれた。
ついでに、送られてきたその住所を
GoogleMapに打ち込むと
名古屋では、まだ見られない=ストリートビューで
彼女の家のご近所を探索できる。
(家を特定は出来なかった)
便利になったものだが、scaryでもある。
彼女のために、写真集の後書きを
写真館のサムネールで抱き合っているcoupleの女性=Hさんに
翻訳してもらっている、それが出来上がったら
郵送した本とは別に、Emailで送るとも書いておいた。


さて、電話もしないのに
堀内カラーの営業さんが顔を出した。
「来たぁー」と思ったら、予想通り。
「集配営業がなくなる」と告げに来たのだった。
予想の範囲内だが、感も無量。
僕が独立したときの営業マンが
イロイロなコースに変わった後、
最後の営業マンとして来たのである。
結局、デジタル時代になって
フィルムと現像に使われていたお金は
フィルムカメラに比べ割高になったカメラ本体と、
その事後処理をする=PC廻りに使われるようになった。
とはいえ、デジタルカメラの価格も下がり
トータルには、確実にローコストになったと思う。
たとえば、4x5という大型フィルム同等を望めば
まだデジタルカメラは、バカ高いのだが
6x9程度と同等ならば、確実にリーズナブルだといえる。
フィルムのフォーマット(大きさ)ごとに、システムを揃えることを思えば
ずいぶん、楽にはなった。
その代わり、「カメラの賞味期間」は短くなり
10年ほどを単位にして、積算すればまだ高いかもしれない。

まぁ、そんなことより
世界が変わりつつあるということだ。
コンビニの売り上げが、百貨店を抜いたというのも
目新しいニュースだが、そういうことである。
僕が、現像所とプロ機材商を通して
コダックやフジフィルムに支払っていたお金が
家電屋やアマゾンなどを経由して
デジタルカメラメーカーと、PC関連メーカーに流れているということだ、
最後まで、その現像所からインクジェットプリンタのインクは買っていたのだが。

確かに僕はもう歳だが、新しいビジネスモデルなどを考えねば、、、と
昨日の夕方、同い歳のM氏と話したのだった。
、、、そして続いた想いは、多分上のトピ「続・生臭話」に書いた。
なんだか、気分は晴れ気味。
そろそろ、歩きはじめたい。

2008年10月21日火曜日

昔、10.21は国際反戦デーだった。

このサイトをリンクして下さっている=あるリンク集サイトを見ていたら
今日は、10月21日。
記憶を辿れば、国際反戦デー
ちなみに、人の死亡率は100%。
問題は、時間である。

2008年6月6日金曜日

スイッチが入ったか?

GIRIという名の友人からメールが来た。
彼は、立派な日本人:高校の同級生である。
GIRIというのは、OSHOが授けた名前。
、、、意味不明の人は跳ばしてください。
*********************************************************
世界の裏の動きーロスチャイルド家を中心とした世界支配ーを暴いています。
この前話した たけし の番組も LINKされてました。
いっぱいヴィデオがLINKされていて面白い。
右クリックから、新しいウィンドウで以下のリンクを開いてください。
http://www.anti-rothschild.net/index.html
**********************************************************
そのサイト、少し読んで見た。
扇情的なタイトル・ありがちな話だが、
おおむね、僕の世界観と合致する。
夕方、スーパーで買い物をするが
そこに売っている食品が、ゴミに見えて仕方ない。
ロスチャイルド家に代表される「影の支配者」に
収奪されるのみの、極東の小島の「庶民」=ほぼ家畜かゴミだ。
その、家畜のような我らが食べる「食品」、
これもほぼゴミまたは餌に見えてくるのだ。


、、、まぁ、そう悲観してばかりでもない。
もっとも、ロスチャイルド家の支配に抗うほどの意気も時間も無い。
こんな支配構造の世界に生きていることを自覚し、
とりあえず、自分のいる場所、自分の生きている時間を
どう「波乗り」こなすか?
そんなことを考えるのが精一杯。
それでいいのかもしれない!


「グローバルに考え、ローカルに行動する!」んだったっけ?


さて、来週
東京都写真美術館でやっている森山大道の写真展、
プリントを見に行く?
、、、それを考えたのは先週。
今週になって、
急に現実味を帯びてきた。
ふいに、跳び込んできた仕事の打ち合わせに
月曜日、東京まで出かけなければいけない。
月曜日=美術館は休みだが、一泊してでも見ようか?
そういう問題になってきた。


実は、森山大道、、、アシスタントを志望したほど大ファンだった。
(70年代当時、都立大前と言う駅にあった彼の仕事場=小さなアパートに押しかけたことがある)
というか、彼は超カリスマなので
アシスタントを志望した若者の数など、数知れずだとは思う。
もちろん、90年代以降の活躍も注目し、且つファンでもある。
だが、彼のプリントを見ることに、僕はそれほど興味を持っていない。

僕は、森山大道の写真は印刷物を見る「写真」だと思っている。
多分、かの70年代
森山自身も、プリントを直接見せる媒体として
考えていなかったのではないか?
(印刷原稿としてのプリント=中間媒体)
多分、当時「オリジナルプリント」という概念は
日本の写真界にあったのだろうか?
逆に、僕は「オリジナル・プリント」という言葉の響きに
商業的な胡散臭さを感じてしまう。
森山ら「プロヴォーグ」と言うグループが、標榜していた「写真」は
ワルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」アタリを引用し
タブローの持つアウラ(多分オーラと同意)を、
むしろ否定していたはずだから
「オリジナルプリント」を有難がる=アートビジネスなどとは無縁だったはずだ。
他の傍証からも、想像するに
プリントを見ることの意義は、あまり期待していないのだ。
(前に見たこともあるし、どこかのラボが焼いた大伸ばしのプリントはノーグッドだった)
、、、まぁ、そんなことはイイとして
僕にどんな刺激を与えてくれるのか?
楽しみだったり、懐疑的だったりする。
以下、
決して森山の影響を受けていないとはいえない=僕が撮った
70年代の写真数枚。











ウォーキング!、なかなか再開出来ない。
微熱感は相当とれたが、気分が向かない。
困ったものである、、、逆に今は不要なのかもしれない。
酒量削減は、そこそこ出来ている。

2008年5月22日木曜日

更新、、、モノ

5月初めからの、オクでの中古&アンティーク家具の落札「趣味」、
結果、家具や椅子が自宅とスタジオに堆積する。
順送りとして、古い物が捨てられる、、、、それはそれで良し。
更新とも言える。
スタジオの小物・小道具がイッパイ入っている収納庫、
今日はそこを整理した。
結果が以下の3枚の写真、

↑、腐った?ジェリービーンズ。


↑2枚、
なぜ、しまってあったのか?不明だが
印画紙が!
多分、しまった時点で
上のようなフォトグラムのような「絵」があったような気がする。
自然の傑作:光の鉛筆?
、、、残念ながら、上の3点
写真に撮った後は「棄てた」。
その整理、女房がほぼやってくれた
お昼は、昨日のビールの話に釣られてやってきた女房と
ビール+イタリアン。
そして残念ながら、「ウォーキング欲」は、まだ起きてこない。

2008年4月4日金曜日

ボンボン

先日「ボンボン」という喫茶店で
M氏とお茶をした。
M氏は業界的には重なるが、異業種の友人。
逆に、僕の同業者の噂などはよくご存知だ。
、、、で、そんな古い知り合い・同業者の噂などをした。
仕事にモチベーションは保てているか?と聞かれ
保っていると答えたが、
「仕事量」に関しては、
モチベーションを保てなくなっている事に気づいた。
、、、ま、それだけの話。
週に3本程度の仕事なら、モチベーションは十分。

2008年3月18日火曜日

空になったゼロ・ハリバートン、二つ。


↑写真の棚=下段、右から二つ目三つ目のゼロ・ハリバートン、
「空」と書かれた白いテープが見えるだろうか?
今日、モロモロ「オク=ネットオークション」に出す準備をしていたら
二つのゼロハリが、空いた。
なんだか「空しい」ような、爽快なような複雑な気分。
ひところゼロハリを買い集めるのが、マイブームだった。
今は、「空」がたくさん出来て、うちで衣装ダンス代わりになっている。
売るほど綺麗ではなく、捨てるには惜しい。
衣替えのシャツやニットなどを入れて、
部屋に積み上げておくと、結構カッコよかったりする。
「お気に入り」の再利用だ。

まだまだ、「オク」したいものは山ほどある。
入手した時を思い出しながら、掃除をしたり
出品前の動作確認をしたり、、、問題を発見したりもする!
思い出に浸っているほど、ロマンティックではない。

2008年1月10日木曜日

新しいカメラ・レンズを考えるに当たり、記憶を手繰る。

カメラの話だ。
記憶に残るレンズとカメラ。
NOWと言うスタジオに勤めていた頃
お手軽な仕事は、ブロニカと言うカメラにニッコールレンズ、
大切な仕事は、ハッセルにツァイスのプラナーまたはゾナーを使っていた。
A4以上ぐらいに引き伸ばすと、特に白バックで撮ったモデル写真など
黒の締りと、トーンがブロニカで撮った写真では「ダメ」だった。
ニコマート、ニコンF3時代、、、上記と時代的には重なる。
ニッコール24mmF2.8と、50mmF1.8でほとんどプライベートな写真を撮っていた。
同時期、
W君から¥800で買った=ビューティフレックスと言うトイカメラに近い6x6の二眼レフ(現有)、
その後、マイクロ・ニッコール55mmF3.5
マイクロ・ニッコール200mmF4
(1983-93四谷通りと言う写真展は、ほとんどこのレンズばかりで撮った。)、
ちなみに105mmF2.8は仕事でよく使ったが、プライベートでは使わず。
逆に、普通のニッコール105mmF2.5はプライベートで使った。
ほんの2~3ヶ月だったが、
ライカM4-2で、50mmF1.4、、、レンズはよかったが、カメラの操作性に慣れられず売却。
ヤシコン・プラナー50mmF1.4 を、ヤシカFX2000(現有)で。
ロシアの名前は忘れたが、21mmF5.6Lマウントレンズを
名前は忘れたが、バルナックライカで使い、
今でも大好きな写真を撮らせてもらった。
前後して、パノンのワイドラックス=パノラマカメラ。
ブローニー版(現有)がお気に入りだったし、いい写真をたくさん撮らせてもらった。
ホライゾンと言うロシア製のパノラマカメラ(現有)、性能はパノン製より良かったが
なぜか、このカメラでプライベートは撮っていない。
その後、ヤシコン(ヤシカ製コンタックス、後に京セラ)・ツァイス・レンズにはまる。
プライベートでよく使ったのは、前述のプラナー50mmF1.4 (最近行方不明)。
仕事でよく使ったのは、PC35mmF2.8(現有)と、85mmF1.2、
逆に期待した割りに使わなかったのが、35mmF1.4(現有)。
同じく、世間の評判は良かったが85mmF1.4は、あまり使わなかった。
55mmF1.2と85mmF1.2の、プレミアムレンズはそれなりの素晴らしかったが
一昨年手放した、高く売れたので満足。
仕事には、そこそこ使ったが
プライベートで記憶に残る写真は少ない。
いや、2005年の「愛のある写真、撮ってますか?」展では、大活躍。
25mmF2.8は、フィルムカメラ時代には、まったくと言ってもいいほど使わなかったが
マウント・アダプタ経由の、5Dでは常時携帯でお気に入り。
2005年、ロンドン旅行の時に
EOS20DというAPS-cフォーマット(ほぼハーフサイズ)カメラに、

O君から借りていた=ヤシコン・ディスタゴン18mmをつけ
ピントはほぼ目測で撮ったのは、快適だった。
同時期、フォーカルプレーン・ハッセルの110mmF2.0も好きなレンズだった(現有)。
同じくハッセルの、ビオゴン38mm固定のSWCと言うカメラ、すごいレンズだったがあまり使わず。
いい仕事はしてくれた、一昨年そこそこの値段で「売った」
97年ぐらいから、コンタックスG2と言うカメラを、プライベートに使い始める。
レンズはどれも秀逸だった、
とくにホロゴン16mmの描写はすごかったけれど、使いにくく
結局、記憶に残るほどの写真は撮れていないような気がする。
キャノン製のレンズで言うと、TSEというアオリレンズ群=3本(現有)には
とっても仕事してもらっているが、プライベートとなると出番はほぼない。
PCディスタゴンでも言えるのだが、アオリレンズはついつい構図を考えすぎて
「絵」がきれいに整理されすぎるような気がする。
(アクがとれ過ぎる感じ)
アオリ操作をする時に、撮りはじめの印象をそぎ落としてしまう感じ。
昨年のヴェネツィアでは、EF135mmF2(現有)をよく使った。
やはり一昨年「高く買われて行った」、絶品EF200mmF1.8も、
仕事(90年代通販カタログ&舞台撮影)では大活躍。
だが、重すぎてプライベートに使う気分にはなれず。

そして、修理部品払拭を機に 売却。
135mmF2は、そのリプレースだ(若干力不足ではあるが)

振り返って見ると、レンズやカメラって性能だけじゃないね。
なんていうか、大きさ使いやすさなど、「つぼにハマる」レンズがあるのだが
撮ってみないと判らないところが「ツライ」

2007年12月20日木曜日

オバーチャンの見た景色

四国、讃岐にて
神戸から、淡路島にかかる橋、
瀬戸内海を渡る橋からの光景は圧巻だった。
その橋は、海にかかる橋と言うよりは
海面からの高さから、ほとんど空に伸びる「道」である。

四国の山々は、山肌の起伏がやわらかく、日差しも和わらかに感じる。
途中、阪神高速神戸市内の渋滞があったが、
2時過ぎには、無事ほぼ目的地に到着。
まずは、白鳥温泉、
美味いとネットに書き込みのあった、そこの食堂で饂飩をいただく。
確かに、正統派のシンプルなかけ饂飩、美味いが鮮烈な印象はない。

その後、「三宝寺↑」へ
その隣に、オバーチャンの実家だと推定される=「M家」があるはず。
そしてオバーチャンの兄の曾孫のお嫁さん(80歳に近い)がそこにはいらっしゃるはず。

三宝寺の境内、女房がうちの庭にある樹と種類が似ている樹ばかり、、、と言う。
オバーチャンは、モロモロ仕切っていたので、
多分、植栽の指示はオバーチャンがし、父=オバーチャンの長男が実行したのであろう。

三宝寺は、この菩提樹で有名らしい、、、この樹はオバーチャンがここにいたころからあったハズ。
三宝寺を散策した後、東隣のM家を訪ねると
その方はいた。
お話を色々おうかがいすると
どうやら、世代が、2世代速く進んでいる。
もしかしたら、「かんやん」こと官五郎氏とオバーチャンの関係を
僕か、曾孫のお嫁さんが誤解している。
23年の大水で、古い柚子の樹などほとんどが流されたとのお話。
その樹が残っていたら、
その樹こそ、オバーチャンが柚子を採った樹だったはずなのに!
残念である。
今、住んでいらっしゃる建物が、50年前のものであると聞いた。
もしかしたら、23年の大水というので古い建物が流されたのか?
そもそも、僕もうろ覚えの「23年」だが、
それは昭和23年をを指すのか?
ヒサ=オバーチャンが袴をはいた人と、訪れたような気がする「松太郎氏の奥様の記憶」は、
その大水の後、2~3年以内だとすると、
僕のオバーチャンはオジイチャンと一緒に
大水の見舞いに訪れたのか?
オジイチャンが、
その時代としても「目立つ」=はかま姿で現れたことは想像可能だ。
袴または、かなり洒落者の洋装のスーツ姿の写真は何枚も残っているし
そういう人だったようだ。

今日お会いした=松太郎氏の奥様は、嫁いで60年とおっしゃっていた。
年代的にも、ぎりぎり辻褄は合う。
ちなみに僕のオジイチャンは、昭和30年に亡くなっている。
今日=一日目は、
20分ほど松岡家の周りを歩いただけだが
明日は、もう少し広くご近所を歩いてみようと思っている。
裏山=松岡家の山には、夜はイノシシ、昼は猿がいて、
果物や作物を食べて行くと言う。
疑問を解くために翌日再訪し、もう少しお話をうかがう。
奥様の誤解というか、言葉の間違いを発見。
「23年」の大水は、台風23号のことだった=平成の話。
古い柚子の樹が流されたのは事実だが、
古い家が流されたのは僕の考えすぎ。
わらぶき屋根の古い家は、50年目に建て直したとのこと。
そして、「過去帳」を見せていただく。
ご先祖の関係と、ご先祖のなくなった年・年齢がわかる。
メモをし、写真にも撮らせていただいた。
先ほど、年表にまとめてみると「勘違い」をいくつか発見。
まず「かんやん」は、
祖母の弟ではなく、14歳ほども年上の兄。
多分、オバーチャンが幼いころ、可愛がってもらったずいぶん年上の兄だったのだろう。
そして、祖母の母は祖母が2歳のときなくなっていた。
つまり祖母は、母をほとんど知らずに育ったのだった。
過去帳を見て解かったことがもうひとつ、
現在家を守っている=松太郎氏の奥様、その松太郎氏と、
「かんやん」こと官五郎の関係を曾孫とおっしゃっていたが、
孫だった。
「かんやん」が、祖母より14歳も年上であれば
僕が、祖母から数えて3代目。
本家の僕と同い年の御当主が曾孫だとしても、
それほど不思議ではない。

↑写真を撮っている僕=女房撮影。
「オバーチャンの見た景色」は、さすがに残っていない感じがした。
オバーチャンがここで育ったのは、もう100年前の話である。
僕の感性もついてこない。
もし仕事だったら、「それらしい写真」を撮るのだろうが、今回はしない。


オテンバだったと聞いているオバーチャンは、きっとこんな川にも入ったのだろう。
下の家は、関係のないご近所。
光と、寂れ方が印象に残ったので撮った。

さて、センチメンタルなオバーチャン探しの旅も、二日目の昼で終了。
もうひとつの目的「讃岐饂飩を食い倒す」に、出かけるはずだったが
気分が乗らない、とりあえず高松に出
栗林公園なる名所旧跡に行ってみる。




さすがに見事なお庭だったが、
既に何食も「饂飩」を食べたせいか、
その後、いわゆる有名店を探す元気もなく
オバーチャンの実家に一番近い温泉が
ちょっと「引いてしまう」風情だったので、
もう一晩、讃岐で泊まるという初めの意思もくじけてしまう。
夕方5時前、「もう帰ろうか?」と僕から言い出し
一路、車を走らせたのだった。
饂飩話は、また次の機会にでも。