昨日の続きで、
先日の写真展でお見せした写真から数枚
彩度を落とした処理をして、再プリントを試しているのだが
フォルダを概観すると、自分への戒めばかりに気づく。
まず、「受け」を狙って撮ったものはもちろん
「受け」を見込んで、選択した写真は「ダメ」=面白くない。
気持ちの不純さが先に見えてしまう。
同じく、言葉で説明できる写真も
写真としての力がない。
これは、70年代に森山大道らが
口をすっぱくして語っていたことだが、、、
ようするに、感性と気持ちを鋭くかつピュアに保つことが肝心だ。
もちろん、スキルは前提なのだが、スキルが一番ではない。
あるカメラマンから、写真展に行けなかった旨のメールが届いたが
相変わらず、上手いと書かれていた。
上手い写真を撮る人は世の中にいくらでもいる。
上手い写真だけでは、やっぱりダメなんだなぁー。
何を感じ、何が心に残るのか?
つまり「心に残る何」が写っているのかが必要条件。
上手くて、美しいだけの写真は
あんまり、何も心に残らないように感じている。
「心に残る何か」を見つけるのも写真家の力
それが「大切な何か」だと感じる能力も、写真家の力だ。
(以上、表現者としての能力)
そして、それをどうカメラという道具を使って
一枚の写真に撮るか?
(以上、写真家としてのスキル)
(僕の場合は)一枚のプリントに写真を展開するか?
(以上が出口にかかわるスキル)
今やっているのは、出口整備である。
以上、自分への戒め。
さて、写真展をきっかけに計画した3つの懸案
うち一つは、意外に早い展開をしそうである。
早速、本日夕方打ち合わせ、どうなるかははなはだ微妙!
こちら、お金もしこたまかかる計画だし、、、、
後述:これが写真集「静かな生活」の突端か?
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