2013年3月1日金曜日

コンテンポラリーダンスと劇団四季を観た

昨夜はアンサンブル・ゾネというコンテンポラリーダンス・カンパニー、
その二日前は劇団四季の「ユタとふしぎな仲間たち」を観た。
コンテンポラリーダンスは仕事でよく撮ったので
今さらこんなことを書くと、信用を失いそうだが
どう観るのか?難しい分野だと改めて思った。
ハッキリ言って、綺麗でもなく
楽しくなく、悲しいわけでもない。
面白い=興味深いかと言えば、よい物は興味深い。
生身の身体を駆使した(当然時間と空間を伴った)彫刻のようなもの?
身体そのものを抽象的(とは限らないが)に昇華しながら
劇場空間(とも限らないが)でオーディエンスの前に現前・再現させるもの?
元々エンターテインメントを目指していない(はず)ので
楽しい必要も、美しい必要も、悲劇的である必要もない
もし製作者が望むとしたら、存在そのものが与える衝撃的な存在感だったり
つまりオーディエンスに期待する反応は
ショックなのか?違和感なのか?親和感なのか?
面白くなく、美しくなく、楽しくも哀しくもなかったが
イロイロ考えさせられた70分だった。
もっとも、身体表現は個々人の身体能力や見た目の外形に拠って
ずいぶん違うし、演者の練度も大きく影響するので
たとえば、昨夜の「受け身の沈黙」という演目では
「すごい」と感じられたシーンはざっくり2~3シーン
ほぼラストのシーン、座長で振付家の岡さんと年長の男性二人のシーンは
さすがだった。
コンテンポラリーダンス、本当はそうであってはいけないのかもしれないが
動き方に一種の振り付け文法が有り、それが見えてしまうと、
コンテンポラリーダンスという枠組みが先に見えてしまい、
もっと衝撃的な存在感・身体性を見せて欲しいと思ってしまう。

追記:昨夜の舞台で気になったのは、効果として狙っていたのか?
ステージの特設床を歩いたりスリ足したりするときの擦過音。
あれを無音に出来たら、オモシロイと思ったり
もっと効果的な音を演出するのも有りだと思ったり
ただ、ゾネの演し物をこれまで観た印象で言うと
あの生な擦れ音が効果なんだろうね、
シンプルな白い衣装とかシンプルな白い床・壁などが
ゾネらしいから・・・・

そう、昨夜このダンスを見ながら
時間軸を伴う(つまり動く)、身体による彫刻(立体表現)だなぁと感じつつ
愛知県立芸大のキャンパスに置かれているロダン作のバルザック像を
思い出していた、あの力強い存在感とインパクト。
時代を超えてなお、額縁に収まった「芸術」を超える力を感じる。
そして、毎日スタジオで流しているRADIOSwissClassic↓という
http://webplayer.radioswissclassic.ch/
ネット・ラジオでよくかかっているモーツァルトやヴィヴァルディ。
特にモーツァルト、古典の範疇にありながら、
僕にはイマドキの音楽よりも100倍楽しくてワクワクさせられる。

さて、その前々日に観たのは
劇団四季、創立60周年特別公演「ユタとふしぎな仲間たち」。
意外と言っては失礼だが面白かった。
海外の原作を翻訳した演目より、日本オリジナルのほうが
演者(東洋人)の外見や身体能力に馴染むし
なにより、奇妙な訳詞を無理やりメロディに載せてない所が良い。
この演目ではキャッツ的な構成振り付けの群舞があったり、
ウエストサイドストーリー的?
有名な演目ではないが、アンドリュー・ロイド・ウェバーのビューティフルゲーム的?な群舞が(ノスタルジックだが)カッコよかったり
ラストの女性ソロは昭和演歌のノリの
それなりの歌手に歌わせたら(先日の公演で歌っていた女優さんが下手だったわけではなく、むしろ好ましかった)
ソコソコヒットしそうな楽曲で僕は好きだった、

劇団四季の良いと思うところは
皮肉ではなく、まだ未完成の若者が一生懸命演じている感が好ましく
そのまま、リアル「コーラスライン」をドキュメンタリーに観ているようだ。
そして、日本中で幾つもの常設館を運営し
ショービジネスや劇場芸術を目指す若者たちに
劇場のモギリも含めて、多くの雇用の場を与えてしていること、
スターを使わないミュージカルのビジネスモデルを実践していること
など、好き嫌いは別に凄いことだと思う。

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