SIGMAのdp2Quattroに残っていた写真から2枚。
そして、「夢のような話」絡みで、昔の銀塩フィルムを温故知新。
昨夜飲みすぎたのかな? そんなに量を飲んだ記憶はないが・・・
今朝は雨で児童公園懸垂に出られず、
なんとなく、頭がふらつく。
今朝の気持ちは意外と軽いけど、
気持ちが重くなる時に思うことが頭に浮かぶ。
それは、「これから(とりあえず今日)の暇な時間をどうやり過ごすか?」思う時に
気持ちが重くなる。
拡大解釈すると、
「これから老後の暇な時間をどうやり過ごすか?」思うことが気持ちを重くする。
「、、、だが、XXXだ」という否定を伴った接続詞をつけて書くことをやめようと思う。
「60字でワンセンテンス」、、、と同じでわかり易い表現をめざす。
回りくどい言い方に気をつける、、、大江健三郎の小説を読んで思う。
相当古い写真を1枚貼っておく。
鋤田正義さんの写真展、名古屋会場最終日に伺った。
鋤田正義さんといえば、僕が18~19歳の頃ライティングもさることながら(その頃はライティングという概念が僕にはなかった)、モノクロプリントが好きで、その調子を身体に覚えさせようと、カメラ毎日の鋤田さんの写真を複写し、雑誌の印刷を再現するようにプリントしたのをよく覚えている、まだそのプリント持っているはず、絵画で言えば模写のようなものか?
今日は、デヴィッド・ボウイのプリントを見ながら一つアイデアが浮かんだ。
デヴィッド・ボウイや著名ミュージシャンのモノクロ写真が有名だが、僕はYMOのアルバムジャケットで色バック紙にリングライトのようなライティングの写真も負けず劣らず好きだ。
PCに残る自分の写真を見返すと
2019のVeneziaあたりがイッパイイッパイの限界だったのかなぁ?と感じたりする。
その後の写真でオモシロイと思ったのは
今年の青森・十和田市現代美術館で撮った写真。
もっともそれは『現代美術作品』を撮った写真なので、厳密に僕の作品と言っていいかどうかは難しい。
僕がそれを見て『どう感じた』かを写真にしたという意味では、僕の作品なんだけど。
飛んで、8/14児童公園懸垂運動後の話だけど
少し古い、2004~7年頃のスナップフォルダーを見ると
よく撮ってたな、「もうイイんじゃない?」っていう気がしてくる。
正直言って、2016年や2018年に作ったアルバム=写真展は
「日常生活のスナップ」、、、人を撮ってないスナップとしては
とても完成度が高いと思ってて、あれ以上撮っても同じものばかり撮りそうな気もする。
傑作だと思う、、、じゃあ次なにする?と前向きに考えられると良いんだけどね。