2009年2月27日金曜日

カメラが欲しい、、、その?

旧聞=昨年11月、12月の仕事の話で恐縮だが、
ライブヴューで写真を撮って快適だった経験が二つ続いた。
その撮影は、リングストロボをメイン・ライトにしたロケ。
そのとき使っていたリングストロボは、
モデリングと言って、照明状態を簡易に見られるライトがついていないタイプ。

つまり、ライブヴューで見る状態とは、まったく別の写真が撮れる。
そこは頭の中で、折込済みなので特に問題がないが

実は、折込済みのライティングより、
その場の光のライブヴュー画面のほうが面白かったのだ。
ライブヴューでは、明るさを見やすく自動調整してくれる。
結果的には、明るく補正しすぎなのだが
それが素敵だった。
シンクロコードをカメラから抜き、そのまま何枚か撮った。
まったく、コンデジ の撮影法である。
ストロボをセットした撮影で、
同時に撮ったコンデジ のほうがいい写真が撮れていたという話は
S氏のサイトにも、最近書かれていた、、、以下
http://shindo-s.com/end0509/end71_0902.html#Anchor75278
そうなることは、カメラマン=照明を作った者にとって
失敗を意味するが、そのことをココで言いたいわけではない。
そんな経験があって、
撮れる状態を事前に見ながら写真を撮るライブヴューのカメラ
とりわけ、それが使い易い、ライブヴューに特化したカメラに興味しんしんなのである。
もちろんほとんどのコンデジ はそうなっているし
コンデジ を持っていたこともある。
今もっているEOSの1DsMk3や40Dもライブヴューは使用できる。
だが、ライブヴューのレスポンスがよく、ライブヴュー上でのAFが速い以下のカメラに
ご執心というわけだ。
昨年以来だが、マイクロフォーザーズのカメラが欲しい。

今市場にあるものは、パナソニックのG1一機種のみ。
これでも十分な性能だとは思う。
さらにサードパーティからは、ライカレンズをつけるアダプタも
既に発売されている。
、、、が、もう数日もしたら
動画撮影も出来るG2?が発表になり
新しい小型で明るいレンズも発表になり
オリンパスからも、コンパクトなカメラとレンズが発表になる予想。
お金もないが、もう少しの我慢我慢。
そうこうしていると、デジカメ噂系サイトに悪い情報!

オリンパスのマイクロフォーザーズが、6月発表?
さらに、直接比較対象ではないが
キャノンのKissX2後継機も、6月?
本命マイクロフォーザーズは、パナソニックG2?

理由?、あのEVFのレスポンス、コントラストAFのレスポンスは
オリンパスにも、すぐには真似できまい。
「餅は餅屋」「デンキは電気屋」である。
オリンパスに期待するアドバンテージは、コンパクト。

そちらは、パッケージング・コンセプトの違いである。
希望する構成は、G2+キットズーム出来れば望遠ズームも、
そこに小型のパナ20mmF1.7、またはオリンパスのパンケーキレンズ。
プラスすることの、オリンパスの小型マイクロフォーザーズ機を
デイリーコンデジ 代わりにするというものだ。
意外と、これはメイン気になる可能性は大。

後は、ライカMアダプタとか、
まだ市場に出てはいないが、ヤシコンアダプタとか、、

2009年2月26日木曜日

ヨーロッパ直行便

先週、中学時代の同級生でパリ在住の友人が一時帰国。
この3年ほど、毎年4月ごろ帰っているので
それほど懐かしいという印象ではないが
ちょうど、10日ほどまえ
そのパリを経由する同じ便で、帰った僕としては
パリの空港から、メールしたばかりの彼女、
突然の一時帰国に、まずビックリ
(一昨年、昨年は、5月の連休前だったのに、、、)
ま、そんなことはともかく
今日は仕事でお送り出来なかったが、午前10時発の便で発った。
(昨夜は早く寝て、電話に出られなかったが、、、その時間、そろそろ離陸だなと思った)
パリまで、12時間弱かかるが
こうして帰宅し酒を飲み始めていると、そろそろ到着の時間。
自分が乗る立場だと、長い12時間弱だが
日常生活をしていると、
朝10時に乗って、後は座っているだけ
(好むか好まないかは別として)
時々、(コンビニ弁当とドッコイドッコイの)弁当は出るし
お酒は飲み放題!
夜10時まで、映画を見るも良し、眠るもよし
上手くコントロールすれば、いい「休憩」になるなっと思った次第。
仕事が忙しい人なら、
前の晩、夜中まで仕事して、
倒れこむように、飛行機に乗り
グヮッ、グゎッとワインなど頂いて、
グースカ眠るのもいい、気がついたらヨーロッパだ!
、、、ヴェネツィアから帰ってまだ10日ほどだが
今日、下のスレでヴェネツィアの記事を引用転記していたら
また行きたくなってきた!!
「ヴェニスに死す」もいいかな?、、、廻りは迷惑!

本日逆風なれど、気分はよし。

本日お仕事逆風なれど、マ、それはヨシトスル。
出来る時は仕事をする、
出来ない時は、好きなことをする。
口を出せるときは、口を出し

出せないときは、黙々と撮る。

ヴェネツィアで撮った写真、キーになる一枚を見つけた。
ヴェネツィアには「死」のイメージがつきまとうと、何かの本に書いてあった。
以下長い引用 *************************************************
エリオ・チオル写真集『ヴェネツィア』の前書き
ヴェネツィア-"水"の虚実    辻 邦生

ヴェネツィアが華麗と退廃の中に浮かぶ"死の都"であるという意味は意外と深い。
たとえばトーマス・マンの『ヴェニスに死す』は
この水の都を死の色で縁取り、
それを映画化したヴィスコンティは、
マーラーの「第五」のアダージェットの甘美な解体の陶酔によって、
ほとんど決定的に"死の都"のイメージを仕上げている。
しかし実際は、すでにそれ以前に
ヴェネツィアは官能的な死の匂いに囲まれた都会であった。
「美しきもの見し人は、あわれ、死の手の中にあり」という意味で、
プルーストもヴァーグナーもストラヴィンスキーもヴァレリ・ラルボーも
ヴェネツィアに”死”を見ていたというべきであろう。
事実、ヴェネツィアの美はただの都会美ではない。
都会全体が水の上に浮かんでいるという単純な事実によっても、
ヴェネツィアは何か眩暈のようなものを常にわれわれに与える。
初めてヴェネツィアに汽車で着いた夕方、
私はサンタ・ルチア駅かた広場に駆け出した。
一刻も早く憧れのヴェネツィアの町並みを見たいと思ったからだ。
そして危うく駅前の運河に飛び込みそうになった、
そこは、普通の都会ならタクシーがとまり、人々が行き交う場所だった。
それが一瞬に消えて、黒い水が満々と溢れていた。
この大地の消滅感、それがヴェネツィアの第一印象であり、
消滅感にともなう不安はその後、ヴェネツィアを思うたびについて廻った。
たしかにヴェネツィアは水の上に浮かび、 幻影に似たものとして
”美”を現前させている。
その”美”はもっとも牢固としたものを犠牲にし、
それを無視して存在している-、、、
このことは、当時”美”の意味を長いこと尋ねあぐねていた私に、
魂を震撼するような真実の啓示と思われた。
それは、 ”美”とは、
この世の牢固としたものを積み上げた果てに 実現するものではなく、
逆に、それを完全に否定することによって
初めて到達できる何か飛躍的なものだという啓示。
”美”とはもともと”生”とは無縁の 揺曳するもの、
遊び戯れるもの、甘美に陶酔するもの、
”死”の眼差しで眺められたものに他ならないのだ。
少なくともヴェネツィアについてそれは否定しようがない、、、、
それがそのとき直覚した美の実態だった。
もし私がこうして現実の否定の上に”美”を築いていたとしたら、
ロマン的な観点は一段と助長され、
ヴェネツィアを、 たとえばカーニバルの夢幻的な仮面の綴る甘美な一夜として、
あるいは黒いゴンドラの運ぶ恋と死の接吻の陶酔として、
心に思い描いていたかもしれない。
事実、毎年何十万と世界から集まる観光客の大半は
”水の都”ヴェネツィアにこうした歓楽と夢を求めてやってくるのである。
彼らは、他では見つけられない魔術的な”美”に陶酔しようとするのだ。
すでに十字軍の昔から商人都市として栄えたヴェネツィアは、
抜け目ないしたたかさで、彼らを十二分に満足させる術に長けている。
ヴェネツィアは細かく割れた鏡のように、
それを覗いた人の数だけ、自己満足を用意する。

中略
やや遠回りな導入部となったが、
こうした前置きが必要なほどヴェネツィアはソフィスティケートされ、
観光対象化され、大衆文化状況の中で曖昧化されつつある。
チオルがヴェネツィアを撮る場合、カラーを避け、モノクロに徹したのは、
光と影の鋭い対照によって
”水の都”の正統的な形象に迫るため、と一応言うことが出来るだろう。
それ以上に、色彩がはぐらす安易な誤解が刻々に増大する結果、
もはや媒体としては使用不能になったというのが実情だ。
少なくともヴェネツィアはモノクロの澄明な映像に徹する以外、
その本質をつかむことは出来ないのである。
赤、青、黄が水面に揺らめくだけで、
その鮮やかさが逆にヴェネツィアの本質を隠してしまう、
という奇怪な状況がわれわれを包んでいる。
中略
ヴェネツィアで情緒に遊べるのは、土産物を買い込むのと同じく観光客だけだ。
ここには”水”との闘争が相変わらず影を落としており
豪奢な趣味でさえ”狭さ”という宿命と折り合わなければならない。
チオルはサン・マルコ広場の雑踏、鳩の群れ、メルチェリーア街の賑わい、
リアルト橋畔の市場の庶民風景、カーニバルの歓楽と哀感などは一切排除した。
そこにあるのは『アッシジ』のときと等質の禁欲性であり、
本質化への意思であり、超越的なものへの視線である。
後略
********************************************************
、、、と長く引用はしたものの、すべてに共感するわけでもなく
その写真集、僕には面白くない部類ではあった。
確かに、ヴェネツィアは別世界、異界≒黄泉の国の イメージはある。
僕の撮ったデジタルRAWデータ、仕上げはモノクロを含む可能性も高い。

チオルが、モノクロで撮ったのとはまったく別の観点から!

2009年2月25日水曜日

SCHOTT ZWIESEL社のグラス。

タイトルのグラス、
レース編みで有名なブラーノ島の、モダンなレストランで
(このレストラン、何もかも美味しかった)
出てきたグラスを
ガラス工芸の覚えのある女房が
「薄い」と言う。
底面にある刻印= その名が、あのショット、そしてzwies???とくれば
ほっておく訳には行かず、帰国後即検索
注文した、、、、が
よく調べて見ると、確かにキレイだが
新しい技術で、丈夫でキレイなガラス素材を作ったらしく
Baccaratなどと違い、主に業務用だそうな、、、、だから安い。
ま、既に注文したので、そのうち届くと思うが。
http://www.rakuten.co.jp/chuboya/405870/575010/

2009年2月24日火曜日

T氏の庭



2009年2月23日月曜日

時差ぼけ?、旅の覚醒。

カーニバルのカフェ・フローリアン(サン・マルコ広場)
ただでさえ、中世のような光景だが
部分的に、油絵風にして遊んでみた↓

一週間しか旅行してないのに、
一週間も、時差ぼけが直らない?
幸い仕事には差し支えていないが
朝、眠くて仕方がない。

たった、一週間の旅行でも
戻った時、しばらくは 慣れた道、風景が
「新鮮」に見える。
たとえば先週、ヴェネツィアから戻った空港からの帰り道
知多半島道路から23号線アタリ
道端の雑木を揺らす風、なんだか鋭く、冷たい。
ヴェネツィアで、風の思い出はあまりないが 角が立ってなかったよう記憶。
旅に出て覚醒し、戻りまた、覚醒する。
そして意外にも、日常が快適なのである。
さて、先ほどから
写真整理を始めている。
まずは、いらない写真をチェック削除。
全体を見た印象は、レポーター気分の写真が多い。
言葉が付いて来るのだ、、、マズイ!
ウィスタン・ヒュー・オーデンの詩にある
「見る前に跳べ」を言い換えて
「考える前に撮れ」が実践できていない、、、マズイ!

旅の覚醒も、戻った時の覚醒も
残念ながら、一週間でほぼ消えてしまった。

2009年2月22日日曜日

若い世代

既に、昨夜になるが
「アーツ・チャレンジ2009」という
新進アーティスト発掘の発表イヴェントを撮影した。
当方も、新進と言うか、若手のカメラマン志望者を一人
急遽、臨時の助手にしつらえた。
これは、その人に是非見ておいてもらいたいとの僕の思いから、、、
実は、前日の「場当たり」が面白く、

本当に「若手」に見せたかったのは、「場当たり」
楽屋裏で小耳に挟んだ話、舞踊家=Hさん曰く
「名古屋は、お客さんの反応を気にしたり、、、保守的」だそうな
僕自身に、思い当たることも有り

昨夜以来ずっと、その言葉、頭の中で響いている。
昨夜の写真も手元にあるが、仕事なので掲載不可。

暗く、動きが早く、踊り手が顔を見せてくれないなど
かなり、疲れる仕事だった。
どういう写真に仕上げるか?、、、どういう写真が必要とされるのか?
その心(請け負った僕の)の動きを省みれば、確かに保守的、、、んーん難しい。

2009年2月19日木曜日

venezia、カーニバル初日と帰国の日。

今日はバレンタインデイ、Veneziaのカーニバル初日、
そして、明日帰国する。
明日は、僕だけ(女房は寝かせておいて)朝6時ぐらいに起き
サンマルコ広場まで、出かけようと思っている。
それが、この旅行最後の、ヴェネツィアになる。
今日、僕にとってはたった一日のカーニバル、
もう3回目になるので
それなりに、立ち回り、それなりに、楽しんだ。


前のスレに書いたように、
ま、帰国した後でないと、気持ちがフィックス出来ないが
大きな意識の変化、「気づき」があった。
一つは、自分の撮った写真を見て
その時の「自分を見つける」ことが出来そうなことに気づいた。
もう一つは、カーニバルでマスケラをつけ、仮想した人々
これまでは、まるでヴェネツィアの観光写真のように
そして、よくあるヴェネツィアン・カーニバルの写真のように
「綺麗」に撮れればよいと考えていたが
彼らを「見られたい」と望んで来ている人々と理解すると
そういう生身の人間が、
仮面の下にいるという見方で、撮ることができると気づいた事。
これは、もしかしたら普通の仕事(撮影)で
援用できるパラダイムシフトかもしれない。
そんな二つのパラダイムシフトは、大きな収穫だった。
前にも書いたように、写真の仕上がりは、微妙だが、、、
******************************************************************
帰路、パリ、シャルル・ド・ゴール空港にて
朝5時過ぎに起き、サンマルコまで歩いた。
まだ夜明け前の道(↓)で、何枚か写真を撮りながら

夜が明けはじめると
なんと、仮装人達がお約束のゴンドラ乗り場付近(↓)にいるではないか!

カメラマン達も、本気モードの人々が集まり初めている。
知らなかった!、朝こそが撮影タイムだったのだ!
朝の速い光の変化(↓)に急がされながら、
そこそこ撮って、今回のヴェネツィアは終了した。

サンマルコ広場に「さよなら」を言ってくるほど
センチメンタルではない。

↑帰りの機上からも、ヴェネツィア本島が見えた。
写真中央、上のほうに
こちらに尻尾を向けている魚のように見えるのが本島。
左に寄り添って見える小さな島が、ジュデッカ島。
さらにその左、左端が切れているが細長く伸びている大きな島がリド島。
本島の右の島は、多分ヴェネチアン・グラスで有名なムラーノ島だと思う。

前にも書いたけれど、この旅行、昨年から続いている「閉塞感」に
風穴を開けてくれそうな予感がある。
****************************
以上は、ほぼ現地またはシャルル・ド・ゴール空港で書いた。
写真は、2000枚程度撮ったものから
400枚ほどを捨て
残った1600枚から、400枚を選び
その中で、あえてBな写真を選び掲載した。

2009年2月18日水曜日

期間限定掲載;資料画像 in Venezia

以下、著作権上問題があるので、期間限定掲載。
僕には、資料的な価値が有り、撮影したものだ。



↑、多分3年前に、リド島(ヴェネツィア映画祭が開催される)で撮った写真。

↑、こんなヴェネツィアが素敵、

↑、この広告写真、ライティングが好き=リングライト。
↓も


↓、1874年って、明治6年?、
篤姫様、まだご健在の頃ですよね。
変わってませんネ、今も。
ただ、写真の鐘楼は1903年?、突然倒壊し
今の鐘楼は、後に再建したものだ。

↓記憶はないが、いいと思ったのでしょう。

↓、なんだか好きだったのでチェック。
僕の撮りがちな写真でもある。

ネットブック

カーニバル初日、
ホテルダニエリ方面(サン・ザッカリア)からサンマルコに向かう人波。
その中に、仮装人が混ざっているの分かりますか?


パリ経由の帰りの便
僕と同年代か、すこし年上のオバ様
航空会社となんかトラブルがあったようで
不機嫌そうに、すぐ前の席に案内されてきた。
CAは、慇懃無礼に謝り続けている。
そのオバ様、ファッション関係のお仕事をしているような
派手でなく、フレンチで、お洒落ないでたち。
残念ながら、体形とお顔は、、、ちょっと、、、
ふと思ったのが、A社のK社長
その方は、もともとモデルをしていらしたのでお綺麗。
僕よりも年上ながら、いい歳のとり方をしていらっしゃる。
きっと、あの方が黒のフレンチな格好で
パリなど歩いていたら、さぞカッコいいだろうに!
でも、その方は「アメリカン」がお好きだといっていた。

さて寄り道をしてしまった。
機上の不機嫌なオバ様、
席に着くやいなや、ネットブックと思しきPCで
なにやら、打ち続けていらっしゃる。
僕もブログ用に、忘れないうちに
書きたい(打ちたい)ことは山ほどあったが
僕のPCは、13インチのB5タイプ(実質A4の大きさ)
頭上のモノ入れの、さらにリュックの中にあり
出すことさえ、面倒。
ちょっとうらやましかった。
最近で言うと、ソニーから
封筒サイズのネットブックが発売された。
これまで、旅行に持って行くノートPCに期待していた役割は、
写真のセーブとインターネット接続だったが
いまや、メモリーメディアの値段が下がり
よほどのことがない限り、PCにデータを移す必要もなく
まして、DVD-Rなどの光学メディアにセーブする必要などない。
ならば、まずノートPCに光学ドライブ(CDやDVD)は不要。
持ち運ぶことと、バッテリー駆動を考えれば
多少値は張るが、SSD搭載も視野に入る。
一つ問題があるとすると、
出先での、RAW現像&フォトショ作業(ほとんどしない)が多分きついこと?
実際、旅先ですることと言えば
まずメールチェック、ブログの更新、ウェブの閲覧。
次に、撮影済み写真のチェック&選択。
ここまでなら、ネットブックで十分イケル。

このブログがそうであるように
ウェブサイトの更新も、ブログならば
IEなどのブラウザー上で出来る。
まぁ、アップするイメージのリサイズぐらいはしておきたいが、、、
かといって、今すぐ
ノートをネットブックに置き換えるのは、ちょっと。
理由は、スタジオのワークステーションが
トラブった時、最低当座のリカバーはノートにさせたいし、、、
仕事の続きを自宅ですることもありうる。
僕のノートを更新する予定は、2年後?
その時までに、うまく調和しているといいな。
今回のヴェネツィアでのネット接続
最悪だと書いたのは、ホテルの接続環境が
ロビーに置いてあるPCを使えば無料だったが
そのPCでは、日本語が使えない、
使えないというのは、打てないだけでなく、
日本語のサイトを見ることも出来ない!
もちろん、メールもダメ。

一軒目のホテルで助かったのは
ロビーのPCが(アクア・アルタ=水害)で、壊れたため、
そのPCに繋がれていたLANケーブルを使わせてくれた。
なので、一軒目では普通にネット接続が出来た(ロビーまで下りなければならないが)。
二件目のホテルは、
ロビーにある、日本語がわからぬイタリア人PCが元気で
僕の役には立たず、
しょうがなく、自分のPCを使うために、
3ユーロ/15分、6ユーロ/30分、20ユーロ/24時間の
有料WiFiを、30分刻みで使っていた。

が、そのWiFiも接続すると
課金サイトがブラウザーに、リダイレクトで立ち上がり
そこに、フロントでもらったIDとパスワードを打ち込むと
時間内のみ、接続されるタイプで
少なくとも、メーラー(OE)では送受信できなかった。
僕のプロバイダーは、ウェブメールに対応しているので
不便ながら、メールの送受信は出来たのだったが。
そこで、皆様にはぜひとも
ホットメールや、Gメール、または
僕のようにプロバイダーのウェブメールを
使えるようにしておく、出来ることなら通常使うメールにしておくことを
強くお勧めするしだいだ。
そして、ヨーロッパの地元系ホテルでは、
日本語が使えるPCなど置いてないのが普通だと思ったほうがよい。
(アジアンリゾートでは、ネットカフェに日本語PCがあったりするけど)
もし、次の機会があれば
ヴェネツィアでも、そこかしこで見かけたWiFiポイントを
活用する術を、学んで出かけようと思う。

もう一つ学んだことがある
僕が中部空港からパリまで使った便は
エアフラとJALのコードシェア便、機体はボーイング777。
この期待、2年前に聞いたときは
エコノミー席には、PC用電源がなかったが
先日の便では
すべての席ではないが、エコノミー席でも電源があるそうだ。
分かっていれば、チェックインのときに
その座席を選ぶべきだろう。
「選ぶべきだった」と書かなかったのは
電源はないと想定していたので、
ACアダプタを、預け荷物に入れてしまってあったからだ。
ま、いくら電源があって、バッテリの制限がなくても
飛行中ずっとPCと睨めっこなど、したくない。

旅の効用、メインテナンス


一週間以上のプライベートな旅行に出る時には、
お仕事カメラや、レンズをメインテナンスに出すことにしている。
先日のヴェネツィア旅行の時には
仕事のメインカメラ=EOS-1DsMk3と
やはり仕事のメインレンズで、
作品撮影には、ほぼ使わない(つまり旅行に持ってでない)
TSE45mmとTSE90mmをメインテナンスに出した。
基本はオーバーホールと、消耗部品交換。
出発の二日前に、宅急便で大阪の修理センターに送り
出発前日に、見積もりを聞いて指示をする。
今回の場合、2本のレンズのアオリ部分が
磨耗しているとのことで、交換することにした。
取り外した古いパーツを返して欲しい旨伝えると

上の写真のものが、同梱されてきた。
僕としては、このパーツをちょっと改造して
使えないものか?っと、狙っていたのだが
結構バラしてくれてあり、
改造するのも、簡単には出来なさそう、、、んーん。
狙っている改造とは、
今までレンズがついていた部分に、
ハッセルレンズのボディ側マウントを
何とかして、取り付け

ハッセル用のレンズを、アオリながらEOSで使うというものだが
アオリユニットが長すぎ、どうやっても無限遠がでなさそう!
パーツを見ながら、そんなことを思っていると
デジカメ系噂サイトに、キャノン新アオリレンズの噂がある。
その噂、物入りだがちょっと魅力的!
そういえば、今日毎月の支払いを済ませたら
預金残高の少ないこと、少ないこと!、、、溜息モノだ。

2009年2月17日火曜日

ヘンな土産特集


↑、ドライトマトなんだが、日本でよく見かけるものより大きい。
バーカロという、軽い立ち飲み屋で食べたドライトマトの煮付けが
美味しかったので、ついスーパーで買った。
実は今朝、それを使ってパスタを作ったのだが
微妙に失敗。
食べながら、ドライトマトの袋の後ろを見たら
煮付けの作り方が英語で書いてあった。
僕の常識とかなり違っており、今度試す。

↑機内においてあった新聞。
英語以外の外国語の新聞は
名古屋では意外と手に入りにくいので
いつも、持って帰る、小道具に使ったり
ラッピングに使ったり、、、他にル・モンドなどもゲット。
フィガロは、イタリアの新聞だと思って持って帰ったが
フランスの新聞だったようだ。

↑ブラーノ島で買ったクリスマス柄刺繍、レース縁取りのテーブルクロス。
総レースでスケスケのテーブルクロスは、素敵だったが
お値段が素敵すぎた(10000ユーロぐらい)ので、こちらで我慢。
これも撮影小物かな?、だって、家使いだとすぐ汚しそうだもん。
画像を追加
即席リゾット、そのイチ。

即席リゾット、その二と、ブロードのキューブ。
リゾットは、3年前から何度もトライしているが
なかなか美味く作れないし、手間もかかる。
前に買って食べたこともある、即席リゾット
結構いけるので、お土産も兼ね「中量」ゲット。
下の写真が、3年前
リゾットに、はまった原因のリゾット。
ジュデッカ島の河岸の小さな店。
スカンピとルッコラのリゾット(下)、上はイカの墨煮(ヴェネツィア風)
上のほうにチラッと写っている黄色いものは、
この地方独特のポレンタという、トウモロコシを荒く挽いてよく練り
粥状にして焼いたもの、ここのものは素朴な味。
ブラーノ島の小ジャレタレストランで出てきた
ホワイトポレンタは、ずっと洗練された味だった。

ブロードは、「あちら」の味をお手軽に再現できるかな?っと
試したことはないが、「中量」ゲット。

↑の写真、下に敷いてあるベスト、
ユニフォーム屋さんで、なんと5ユーロ!のセール品。
なんとなく、お安くて買ってしまった。
ベストの上に置いたのネクタイ型のネックレス?
ジュデッカ島で僕用に買った。
↓の写真、これがウィンドウにあった状態、
お値段に注目。
カーニバルの時期、3年前も2年前も
ちょうどセールの時期で、
お土産を買うというより、完全に普通のセール漁り!
前2回では、シスレーでずいぶん買い物をした。
そのシスレー、ベネトン(同会社)ともに改装中?か、閉まっていた。

結婚式の二次会など用?、、、結局使わない可能性大!
その場合、やっぱり撮影小道具?

↑、ユニフォーム屋さんで買ったお洒落なシェフの上着と
とも布の帽子というか、お店ではバンダナといっていた。
ま、撮影のときにでも気がむけば、被る。

3年前に、同じ生地のテーブルクロスを買った。
その店に行ってみたら、
とも布のクッションカバーがあったのでゲット。
この生地、一見いやみなオバ様好みだが
テーブルにかけると、劇場空間的でなかなか良ろし。

↑マルコポーロ空港からパリまでの
エアフラの機内食カトラリー=もちろんプラスティック。
さすが、おフランス!お洒落じゃんというわけで
お持ち帰り、、、CAさん後片付けすばやく
フォークを一本、しまい忘れた。
お料理も美味しかった↓。


↑はデザート。

リゾット作りに欠かせないパルミジャーノ、
日本で買うと、ソコソコお高いので地元スーパーでゲット。
これも、お値段に注目!

2009年2月16日月曜日

とりあえず、戻った。


今日午後、戻ってきた。
↑はブログ用に、撮り下ろし(笑)
女房が、買って来た物を
我家の「仏壇前広場」に広げたので一枚パチリ。
2軒目のホテル近くにあったユニフォーム屋さんで買った
シェフのお洒落な上着、、、自分用。
襟のところに置いたマスクは
今回買った、唯一のマスク。
http://www.bluemoonmask.com/
↑のリンクから、通販もしてくれるらしい。
僕が買ったのは、ジュデッカ島にあった工房の直営店。
これは、唯一「誰か」を想定して買ったお土産である。
その人のデザインしたドレスを映えさせそうな気がして、、、
その人がこれをつけてパーティなどに行ったら、
営業ツールになるなっと思って、、、
もう一つ、「誰か」を想定したものがあった。
上記と同じ会社のパターンナーさん、
インスタントのリゾットとブロードキューブを4点ほど。
イタリア語のできる彼女には、リゾットとブロードの使い方を
翻訳してもらわなければならない!
彼女達、見てくれてるかな?このブログ。
下につながる書き込みを
いったん消して、編集しようかと思ったが
現場で書いた、生な感じがでているので、
改行などを直し、ちょっとだけ整え
そのまま、置いておくことにした。
続編も書いてあるのだが
現地から送って「ナンボ」なので
改めて、編集しアップするかもしれない。
まだ、撮ってきた写真を整理しなければならないし、、、

2009年2月14日土曜日

カーニバルの写真



2月13日
予想外に、カーニバルの初日が明日からで
ちょっと気抜けしたが、まそれはそれでよし。

今日は、サンマルコを抜け、ビエンナーレ会場付近まで歩き
話には聞いていた海軍博物館を見る。
塩野七生さんの著書で歴史を読んでいたので
それなりに、面白かった。
後、ジュデッカ島へ渡り
一昨日?、その店が開店前で食べ損ねたスカンピとルッコラのリゾットを
イカの墨煮とともに頂く。
このリゾット、一昨年この店で食べた後、
僕にリゾットのマイブームを起こさせた一品である。
美味しかったが、イカの墨煮は塩が強め
いかにも地元料理と言う感じ。
だが、旅の食事は楽しみの、一・二を争う項目。
しかし、食べるためには「腹」にスペースを空けておかねばならず
これ、結構大変と言うか、努力がいるのですわー。
朝御飯、ブッフェでいい気になって食べ過ぎると
昼飯が食えない&太る。
この辺り=ヴェネツィアが起源のティラミス(すごく美味しいが、大きい)を
食べると太る?、マズイよね。
などなど、カロリーコントロールと言うかマネージメントと言うか、
大袈裟に言えば「命がけ」のB級グルメ道。
今晩は、ハムも惣菜もなしのワインのみ。
toscana産Antinoriがあんまり美味しいので
明日も、日本の半額以下で買えるそれを
スーパーで買ってこようねっと、、、夫婦の会話、
その代わり?、明日の朝は、朝食ブッフェ控えめにしておいて
お昼は、どこで何を食べる?
もう一軒、行き残したレストランもあるし、、、、
ある意味と言うか、傍目から見たら贅沢ですよね、こんな旅行。
僕だって、さすがにこのホテルのゴージャスな朝食を食べていて思いました。
でもネ、僕には「なすべきこと」、(篤姫流に言うと)「役割」として
ここ、ヴェネツィアに来ているという意識があるのです。
もちろん費用は、それなりにかかっているけれど、
ビジネスという意味ではなく、仕事。
確かに楽しくもあるけれど、「せねばならぬこと」と思っているわけです。

お土産?誰あてというわけで無く、
ちょうど、ハワイ土産のマカデミアン・ナッツ・チョコレートのように
インスタント・リゾットと、ブロード(スープの出汁)を、
結構大量にスーパーで買った。
想定している対象は、
イタリア語の黒米を翻訳してくれた=Hysさんはリザーブドとして、
新婚のCちゃん夫妻など?
(ダンナ様のM氏、マスケラに大変ご執心だったが、あれも好みがあるから、、、、)
いずれにせよ、
インスタントのリゾットや、イタリアのクノール他のスープ(ブロード)を楽しんでくれる人、
そうはおりますまい!
後は、スタジオを訪れた早い者勝ちとなるだろう。
ターゲットは、B級グルメ班になる。
自分達は、女房が70%オフのバーゲンで洋服数点。
僕は、50%オフ28000円ぐらいの仕立てのいい皮のコート(アルマーニと同型)を
見つけたがサイズがちょっと大きく、涙を呑んだ。
さて、一杯ワインを引っ掛けてちょっと眠って、夕方の出陣とするか!
夕方の出陣は、結局「ゲットー」散策と女房のお土産漁り。
そう言えば、「ゲットー」って言葉=ユダヤ人居住区を指すのだが
その由来は、初めてヴェネツィアに作られたゲットー。
郵便制度や、為替の制度もヴェネツィアが最初だと聞いている。
日本との関係で言うと、
「黄金の国ジパング」と日本を紹介した東方見聞録のマルコポーロはヴェネツィア人。
日本で一番人気のあるクラシック音楽=ヴィヴァルディの「四季」は
ヴェネツィア人=ヴィヴァルディの作曲である。
ヴェネツィアは、現在人口3万人、
過去最大時で人口12万人の小さな島国=都市国家だが、
その遺したものは意外と大きい。
ヴェネツィアをイタリアの一都市だと思ってはイケない。
ヴェネツィアは、1000年続いた共和国なのだ。
ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」、
僕はその共和国(レイヤ姫の国)像、このヴェネツィアをイメージしていると見ている。
ビザンチン様式のドーム建築風宇宙建造物の間、空中を流れるように進む宇宙船は
まさに、サンマルコ寺院をのぞむ大運河を行く船の群れそのものだからだ。
そして、アンドリュー・ロイド・ウェッバーの「オペラ座の怪人」。
怪人のマスク、仮面舞踏会、地下のゴンドラのようなボート
すべてのモチーフは、ここヴェネツィアにある。
逆に、僕をここヴェネツィアに誘ったのは
「オペラ座の怪人」のマスカレード=仮面舞踏会のシーンだった。
その後、サンマルコ偵察に出たが観光客増殖中、
本気モードのカメラマンも。夜になるとだんだん目立ってくるのが、
アメリカ人と思しき英語族。
もちろん、リアルト・サンマルコ間の超細いメインストリート=メなんとかって通りでは
我が同胞と重なることも多いし
リアルトが終点のヴァポレット(リアルト終点は珍しい)で、
同胞おじさんおばさんグループに、「ココで降りないで下さい」と
「分けのわからぬこと」を言っている添乗員さんがいたり、、、
さ、勝負は明日!、って何の勝負?
2月14日朝、今日はバレンタインでーだった。
起き出して、朝飯の前ふとPCを開いて見ると
一昨年ヴェネツィアでの写真の控え全カットが、残っているのを発見。
ざっと目を通すと、自分で言うのも変だが
恋しいヴェネツィアを再訪した、「切なさ」が伝わってくる。
写真から、自分を見ると言う体験。
翻って、今年の写真は?、、、リアルタイムなので判断できないが微妙。
一昨年の写真を見た訳は、
カーニバル=マスケラの写真、
どんなのをどれぐらい撮ったのかに興味があったからだが
意外な発見だった、
つまり自分を見つけるために写真を撮る。
これは面白い。
今、午前中の部から戻った。
朝、ヴァポレットに乗るといきなり、扮装のおねーサンがいる!
こんな朝から!チビで太っちょだが、
僕のアドレナリンは一気に放出。
サンマルコまでの船の中、何枚か撮りながら気づいたことがある。
扮装のオネー様方を、よくある「運河にゴンドラ」バックなどで、
美しく撮るのは、当たり前。
あの人達は、みんなに見られることを望んでにココに来ている。
つまり、ある意味孤独なピエロなのだと、、、
そう思うと、俄然撮り方が変わってくる。
いわゆるプロが、まるでヴェニスフォトコンテストに応募するような
美しい写真を撮るのとは、違った目線で
まさに、仮面下の人間、その心理を撮るぐらいのつもりで(大袈裟だが)
カメラを構え、撮ることにした。
サンマルコ広場には、既に何組もの仮装人たちが徘徊しており
とりあえず、プロの技で前に出て、先ほどの気分で撮りまくった。
この後、ネットにアクセスし
ワインを引っ掛け、昼寝をして
4時過ぎには、夕方の部へご出勤だ。カッコイイ写真は撮らない!

2009年2月13日金曜日

最悪のネット環境なれど、アップ。

2月10日、朝からアクア・アルタ=高潮。
ヨーロッパに冬来ると思うのだが、
日本とこちらとでは気温の計り方が違うのではないか?
特にどこへ行く当てもなかったので、
レース編みで有名なブラーノ島へ行くことにした。
紆余曲折はあったが、午後1時過ぎにはなんとかブラーノ島に到着。
家々がペンキで色分けされた「可愛い」島。
バーカロ・ガイド本を参考に、魚介類の美味しいお店を探すがお休み。
やはりお薦めのレース屋さんに教えられて、新しいレストランに入る。
お料理もワインも美味しいが、高い。
その店で食べたのは、 漁師のスナックというメニューで
パンに、海老や蝦蛄の素揚げや、
魚の切り身を軽く炙ったもの、
ツナのあえ物をのせたものなど(どれも美味)
小魚のリゾット(ぜんぜん小魚臭くなく、アルデンテで美味)
海老、スカンピ、カラマリ、魚のフリット(良質の油で揚げてあると見え、軽い、、、美味)
添えられていたポレンタが白く(初体験)、とても上品で
たとえれば、オートミールの柔らかいお餅のよう。
夜は、 ホテルの近くの総菜屋で鰯、いい蛸の串揚げと、手場先のから揚げを買って
部屋でいただいた。
油がよくないと見え、少々くどかったがまぁオーケー。
それよりビックリしたのが、手場先。
隠し味に醤油を使っている読んだ。
多分、こちらで「山ちゃん」や「風来坊」をやっても流行る!

日本在住経験のあるオーナーが始めたというケーキとパンの店。
実はそのオーナー、知り合いの知り合いで
3年ほど前に、アパレルメーカーの日本法人社長を辞めて
ヴェネツィアのサンタルチア駅近くで、パン屋を始めた
という話は聞いていた。
この2年ほどで、お店を増やしているほど人気だそうだが
そこには、おにぎりがおいてあった=この目で確かめた。
ま、オーナーの奥様が日本人(↓そのマダムのブログ)、
http://plaza.rakuten.co.jp/vivavenezia/
↓、それを発見した北イタリア在住designerのブログ
http://blog.livedoor.jp/dabrescia/archives/51229328.html
パティシェもイタリアの4つ星で修行した日本人なのでわからなくもないが、
そのお店、ヨーロッパらしくなく甘さを押さえたお菓子が人気らしい。
↓がそのお店のひとつ、、、多分最初の店。


ランチの後で再び寄ったレースのお店も、物はいいが高い。
「高い」と日本語で言うと、 「高い」の意味がわかったようで
「物がいいので、高くない」という意味の英語を返された。
テーブルクロスを一枚と、小さなレースのパーツを幾つか買った。
本当にすごいと思った総レースの 透けるテーブルクロスは、
¥10万ほどしたのでやめた。
ブラーノ島の帰りは、本島の外周を回る格好で
リド島を経由して、サン・マルコに戻った。
夕暮れ時のサンマルコに「挨拶」、
おじさんから見ると、そうとう無礼な日本人の若者グループがいた。
カーニバルを控え?、 ライトアップされたり、
飾り付けられたりしたサンマルコ広場とその裏に広がるブランドショップ群、
既に2回訪れているせいか、 あの時の新鮮さはない。
というより、2年前のホテルがある街=カンナレッジョ
今年のホテルがあるアカデミア辺り=地元系の街の魅力に比べると
ただでさえ、島全体がテーマパークなのに
サンマルコ周辺はさらに、軽薄な感じがする。
ヴェネツィアは、なにもしなくても十分にすばらしいのに!

そういう感じは、そこかしこで感じた。

残念なことに、日本から普通の一泊二泊観光で来る人々はほとんど
ヴェネツィアとは、サンマルコ広場と、せいぜいリアルト橋周辺なのだろうが、、、
ヴェネツィアは、その歴史を刻んで、そのままの姿を残している様が
時間を超えたテーマパークのような魅力を持っている。
(ああ、だから世界遺産なんだった)
サンマルコとその周辺は、あまりにも商業的なにおいがする。
3年前、2年前にはそれでも十分に魅力的だったのだが
今年は、少し違って感じるのだ。
多分、僕の見方、見え方が変わったのだろう。
今回でヴェネツィア旅行は最後にしようと思っていたが
そんな僕を、ヴェネツィアは放してくれないようだ。
それにしても、ヴェネツィアは魅力的である。
雨に降られ、風に吹かれ、 欠航している船を散々待たされても
(アクアアルタで、水面が上がり、船が橋の下を潜り抜けられない)
ヴェネツィアへの思いは変わらなかった。
写真について言うと、 ヴェネツィアらしい写真=観光写真を
撮らないでおこうと思ってやって来た僕だったが、
そのフォトジェニックなヴェネツィアの姿に
どうしても、当たり前の写真を撮ってしまう。
しかし、それもやめようとはしなかった。
そんなヴェネツィア写真を撮って撮って撮りまくって、
その後に、まだ撮れるほかの写真があればよいと
今日は思いながら、撮った。
サンマルコだけが、ヴェネツィアの魅力ではない。
その思いは、島の外周を回ると、なんとなく思う。
島の外周が魅力的だというわけではない。 、、、続く
では、オヤスミナサイ。
旅行記事を書くライターさんは、
「大変だなぁ」と思った昨日今日のNでした。

↑イカ墨のスパゲッティ、アメリカン?!


↑、屋台のホットワイン、甘すぎ。


↑ユニフォーム屋のウィンドウ、幾つか買った。


↑今年のサンマルコ裏のブランド通り。


↑、サンマルコに近づくと、かくれんぼしているティーンエイジャー。
可愛い。

夜明け前に眼が覚め、寝つかれなくなる
、自分のための写真、「僕の」ヴェネツィアが撮れていない。
カーニバル初日の朝、
念仏のように、「自分のための写真」を唱えるか?「それらしい写真」じゃなく。
少し疑っているのは、つまり撮りたいと思った情況で切り込めない自分。
、、それはまぁ僕の問題だ。
跳べない自分がいて、それに気づかずいつも不満を言っているようなもの。
ただ、そんなに自分を責めなくてもいい。
この旅行で撮った写真をざっと見た、
言い訳ではないが、なぜか読者を意識している。
ヴェネツィアをこう伝えようだとか、、、、ヴェネツィアのこんなところを見せようだとか、、、
仕事でもなければ、ましてレポーターとしてココに来たわけでもないのに。
写真をもう一度見た、不要な写真を削除した。
メモリーのセーブもあるが気持ちの整理の方が主な目的。
好きな光景、物を撮った写真もさすがにあった。
それで良し、それでいい。
もっと、我がままになれば、さらにイイ。
自分の撮った写真を見返すことは大事だしね。
撮る、見る、撮る、見るの繰り返しとフィードバックが大切だと思うよ。
そう言う意味では、デジタルになって、
フィードバック出来る速さと従って量も圧倒的に増した。
ヴェネツィアの街を見ていると観光客が持っているカメラの量も、
圧倒的で、フィルム時代と比べてどうなのかは謎だが
この総カメラマン時代は、プロカメラマンのありかたや
表現方法としての写真を変える予感はある。
ブロガーなんて、表現者もいるしね。
と、こんなことを書いていたら、朝御飯の時間になった。
ココの御飯は、アメリカン・ブレックファスト。
それなりに美味しいが、感動するほどでもない。
ホテルの雰囲気からして、50年代60年代に
アメリカ人観光客目当てに出来たホテルっぽいが(まさに、旅情?)
今泊まっている客も、アメリカ人らしい人が多い。
日本語のウェブページもあるので、日本人も泊まるのだろうが
とりあえず、自分達以外にはまだ見ていない。
今日から始まるはずのカーニバル、
アカデミア橋に掲げられた横断幕を見ると、
14日からになっている。
一昨年もそうだったが、当初発表になっていた日程から一日ずれている。
残念とも言えるが、まそれはそれでよし。
「祝祭都市」「劇場都市」と呼ばれる、
その雰囲気面白いが、疲れもする。
もし明日からだったら、明日一日タップリと楽しませてもらおう!

先ほど、朝のセッションから戻ったが
サンマルコ付近の日本人濃度は相当高い。
ただ、団体さんは、多分日帰りで
明日からカーニバルであることすら知らないだろう。
世界各国の、根性入ったカメラマン達もよく見かける。
ではまた。

2009年2月12日木曜日

ネット環境悪すぎ

計6泊滞在の内、半分が過ぎ
今朝、ホテルを移動。
合理的ではないという、ご指摘もあろうが
二つのホテル、二つのエリアを体験したいのが、ポジティブな理由。
初めのホテルで、朝御飯が不味かった場合
それを3日で「chnage」できるのが消極的な理由だった。
二番目のホテルは、おととし泊まったエリア=カンナレッジョ地区にある。
一昨年泊まったホテルでは、
フロントのオネーサンの英語も分りやすく、親切な人だったし
朝御飯も、美味しかった。
が、今年は、ずいぶんレートが高くなっていて、変更した。
なので、あたりは懐かしくホットワインを引っ掛けられる屋台もあるし、
ジモ(地元)ティ系の店も有り、
3年前に泊まったリアルト地区よりも確実にカジュアルである。
現に、ホテルで荷物を置くと、まず
ホットワインを引っ掛けに、屋台に向かったのだが
その前に、一昨年も「やっていたバーゲン」に婦人服のお店で落ちてしまった。
黒ばかり置いてある、イタリアのチェーンショップと思うが全品70%オフ、
一昨年は50%オフぐらいから始まって、70%オフの時には、奪い合いの盛況だった。
今日通りかかると、ウィンドウに黒のダブルのコート。
エリと袖口のデザインが、日本では見ない可愛らしさ。
お値段は、45ユーロ!
他にも、黒のブラウスが14ユーロ。
薄手の黒のデザインパンツが、12ユーロ。
いきなり、買い物に走ってしまった。
他にも狙っているお店が、この界隈にはある。
ユニホーム・ショップなのだが、何せイタリアンデザイン。
シェフの服とか帽子とか、
僕が女の子だったら欲しくなる=ウィイトレスのワンピースもある。
帰りまでには、確実に何かを買ってくるだろう。
買い物といえば、基本的にお土産の類は買わない。
だが、例外的に一昨年、
イカ墨のリゾットと間違えて買ったそれを「黒米」を翻訳して、
間違いだと教えてくれたイタリア在住経験のある洋服パターンナーの方に、インスタントリゾットを、
その会社のデザイナーさんに、
似合いそうな薄い金属で出来た、黒のハーフ・マスケラ、スワロフスキー付を買った。(モダンなタイプで、決して伝統的なタイプではない)とはいえ、
やっぱり手元に置いておきたい、となる可能性も有り
その方がこのブログを読んでいないことを願っている。
さて、お昼御飯はホテルの脇の裏通りのジモティ系トラットリアに入ったが
そこは、微妙に失敗。
イカ墨スパゲッティとジェノベーゼを注文した
味は悪くないのだが、アメリカのスパゲッティかと思うほど、ボイルオーバー!
ムール貝のアンティパストは、ジモティに過ぎるのか?
海の香りが、どぶ臭さまで残っていた。
さすがに明日からカーニバルのせいか、街や水上バスに観光客が増えている印象。
韓国人、日本人と思われるアジアの若者・中年も、ちらほら見かける。
このホテル、インターネット無料が選択の条件だったが
無料のPCは、日本語打ち込みどころか表記も出来ない。
せっかく、メールチェックをしても中身が読めないのである。
自分のPCをつかって、ワイアレス接続もできるのだが
3ユーロ・15分!、20ユーロ・24時間!ちょっと高いよね、
ま、一度繋いではみるが。

昨夜、アカデミア地区の北辺りからアカデミア橋をわたり、
サンマルコ広場まで行ってみたが
やはり、商業臭が強い電飾で、僕としてはどうもイマイチ。
「素顔の君がいい」
3年前には興奮したブランドショップが小さな通りの古い建物に
ぎっしり並んでいる様、お洒落で、
高級なアンティーク、小物のお店が並んでいるその様、
今回は、「どうも」なのである。
世界有数の観光地なので、仕方ないが
50年代60年代(多分映画「旅情」のヴェネツィアとあまり変わらない)地元系が
僕は好きだ。
今は昼休み、この数年ヨーロッパ旅行では
ホテルを交通の便のいいところに取り、
朝、お出かけしお昼御飯を食べた後、ホテルに帰りお昼寝。
夕方、再び出かけると言うパターンが快適だ。
もちろん昼寝の前には、ワインを一杯引っ掛けて!
僕がイタリアの赤ワインを好きになった原因のワイン
我家的には高級ワイン「Villa Antinori」、
日本の酒屋では¥3000弱しているモノを半額程度で見つけて買った。
こちらのスーパーで1瓶、4ユーロ程度のワインでも十分美味しい。

2009年2月11日水曜日

着陸時に見たVenezia




下のトピで書いた島とは、これのことだ。
アップし忘れていた。
橋が一本かかっており、鉄道と道路が本土から繋がっている。
が、島の端っこに駅と、大きな駐車場が有り
そこから先は、鉄道はもちろん自動車も自転車も入れない。
島内の交通は、徒歩と船。
バス代わりの、水上バス=ヴァポレットは便利だ。
水上タクシーもあるが、現実的な運賃ではない。
ゴンドラはもちろん観光用。
僕のヴェネツィア、「僕の」の部分が撮れていない。

速報venezia発、生原稿、生写真

なんとかインターネットにアクセス出来たので
書きっぱなしの文章と、撮りっぱなしの写真を
雑では有りますが、アップします。
特に写真は順不同。
この後、編集の可能性もありますし
逆に、当分アップしない可能性も有り。

空港から、ヴェネツィア本島に向かうバスの窓から













パリ経由のパリに向かう機上から見た、シベリア。










とりあえず、心配した機内食は配っていただき
帰りのマルコ・ポーロ発の便、変更できた。
ただこれは、空港にエアフラ係員はおらず、
JALの係員ではなんともならず
結局、電話で変更をする羽目になり
絶対待たされることはわかっていたので
なんとこの時代にテレホンカードを買い、公衆電話を使った。
予想通り、電話口に「人」が出るまでに¥200はかかったね。
ゲート前での生ビールもいただいた。
空港近くの民間駐車場で思わぬ発見=トラブルもあった。
タイヤがパンクしかけていた、
駐車場のお兄さんが親切で、
預けている間にスペアと交換してくれるとのことだが、
セキュリティチェックを待っていると、
その駐車場のお兄さんから電話があり、
大きな釘が刺さっているので、近くの修理屋で
旅行中に直しておいてくれるとのこと
さらに、嬉しい。
ちなみに、この駐車場=アイアイ・パーキングと言う。
名古屋発パリ行きの便、卒業旅行と思しき若者で満席。
帰りの便も満席だそうで、盛況である。
ま、機内は狭く、窓側の席は確保できず
後3時間足らずだが、退屈しのぎにPCを取り出したというわけだ。
通路側の席は、トイレに立ったり、ちょっと歩いたり
カメラを天井の物入れから出したりしまったり、
PCを出すのも、結構自由に出来てそれはそれでありがたい。
2度ほど浅い眠りに落ちたがいろんなことを考えた。
たとえば、僕の40歳代は何だったのだろうとか
加齢に抗うことは、多分間違っているのだろうが
加齢は辛く、せめて軽い運動で身体的な加齢による衰えを
少しぐらい、リカバーするぐらい許して欲しいとか
後一年ほどして、この一年を振り返った時
「辛い、一年だった」と言えるようになりたいとか
僕の意識には、確かに今が辛いと言う思いがあって
でも嘆いているより、出来ることをやろうと
この旅行も、焦ってはいないし
「何か物にしてやろう」とも思ってはいないが
自分が何を思っているのか、
今の僕に撮れる写真はどんなものかとか
それなりに、「苦しん」でみようと出たのだった。
以上、2月9日、機上にて、、、多分ヘルシンキの少し東上空。

以下、アカデミア近くのホテルで
さすがに、二年ぶり三度目のヴェネツィアパリでの乗り換えもスムーズ、
空港から初めて泊まるホテルまでも何の問題も無く到着、
その分感動は薄くなるが
やはり夕刻のヴェネツィア、
カナル・グランデという大運河をゆく水上バス一号線に乗ると
カ・ドーロという、カンナレッジョあたりのバス停から
もう、この世というか、現代では無い世界が広がり始める。
正確に言うと、ローマ広場を出ると、とりあえずそれは始まるのだが、、、

問題は、ホテル。
お約束のインターネットが繋がらない。
理由は、明日にも予想される「アクア・アルタ=高潮」である。
それに備えて、一階ロビーにあるPCを片付けてあるのだ。
フロントのおねーサンが詳しくないのでナンだが
僕のPCをロビーに持っていって、LANに繋がせてもらえればできるはずなんだか、、、
ネット接続はさておき
僕達は、明日来るかもしれない=僕はないと踏んでいるアクア・アルタに備えて
ゴム長(靴)を、買える店を探すのに、ちょっと苦労したけど、
ホテルフロントのおねーチャンから聞いた店で買う。
今夜のワインもついでに近所で買っておこうと
長靴を買った店の斜め向かい、
ケーキ・パン・ハム+ワインなどを売っているのお店に入ると
なんとその店は、出発前にブログにも書いた「美味しいと評判の店」
その情報には、オマケもあって
その広場にある、「なんとか」というオステリァ(軽い居酒屋)も美味しい。
と言うわけで、
近所の飲み屋を捜して、ちょっとツマミ一杯やる。
今日入ったお店は、おねーサンがカッコよく親切だったけれど
ポレンタにドライトマトの煮戻しをのせた物が美味しいかった以外
ま、レポートするほどではなし
というのは、僕はポレンタがそれほど好きではない。
しかしこの界隈、
しっかり「地元」系美味しそうな、小さなお店が一杯ある。
ココで改めてVeneziaについて少し復習しておこう。
Veneziaはイタリア語の原語表記、
Veniceは英語、Veniseは多分フランス語だと思う。
ヴェネツィアが、人工の島だということも意外と知られていない。
水の都、運河の街とはいわれているが
その水路、運河ではなく人工の島と島の間に残った海、
潮の流れをたくみに残した物なのだ。
人工の島が造られたのは1500年ぐらい前、
異民族に追われイタリア本土から逃げたキリスト教徒が
イタリア北部、アドリア海奥のラグーナ(干潟)に、
太い木製の杭を無数に打ち、
その上に石(アストリア石)を並べて島にした。
その後、第4次十字軍派兵に絡んで、
大儲けと多くの利権を得、ヴェネツィアは地中海交易の中心となり、
経済・文化の隆盛を極める。
(そして、退廃の都でもあったらしい)その時代、
先端技術・芸術は東方に有り、
陸路地中海沿岸に運ばれたものが、
地中海を渡り、ヴェネツィアに集まり、
ヨーロッパ全域に売られていった。
この繁栄は、15世紀「大航海時代」の始まりとともに衰退を始め
(つまり海上貿易の中心が、地中海から大西洋、インド洋などに移った)
18世紀ナポレオンの占領で、1000年に渡る「ヴェネツィア共和国」の歴史を閉じる。
これが僕の知っているヴェネツィアの歴史である。
学んだのは、初めてこの地を訪れた後
塩野七生氏の著作「海の都の物語」(だったかな?)による。
さすがに歴史のヴェネツィア、幾つかの逸話もある。
たとえば、最近の胸元が大きく開いた女性ファッション
その元は、ヴェネツィア。
多分、15世紀ぐらいだと思うが
繁栄が爛熟にいたり、悦楽の都と化したヴェネツィアでは
娼婦達が娼館の窓から乳房を露わに男性を誘う風俗が蔓延った。
さらに、男性の間で同性愛が流行り、
娼婦に負けてはならじと、
一般女性も胸元を大きく開いたファッションを身に纏ったのだそうだ。
実際、「乳房橋」と名づけられた橋が、
かつての娼館を望む場所に今も残る。
1970年代後半に復活したカーニバルも
(僕も、その名残を見にはるばる来ているのだが)
本来は謝肉祭というキリスト教の宗教行事でありながら
ここヴェネツィアの、仮面をつけて街を行くそれは
仮面を被れば、貴族も市井の人も身分の差なく、
貴族のご婦人方も、普段は脚を踏み入れられないところにでも行けるという
享楽と退廃の都ヴェネツィアのきわどい「お祭り」なのである。