2020年1月17日金曜日

イロイロ悩む、、、というか不調。

さて、僕は何をするべきか?
何を撮るべきか?
基本はペシミスティック(悲観的)なんだよなぁ。
少なくとも今日は「日常」を撮る気もしない。
 
 もう一題、スタジオの基本的な、いつものライティングというモノをストロボで組んでみようか?という発想。まぁ、画家のアトリエに北窓からいつも変わらぬ自然光が降り注ぐ状態の再現と考えればいいと思う。そこで迷うのが、サイドからの片光にするのか?トップ正面からの光にするのか?多分90年代のはじめ、スタジオ天面に貼った紗幕に太陽の自然光が強くあたり、その下に立ったモデルをきれいに見せた経験や、曇天下のロケでモデル直下においた大きな銀レフと相まってきれいな光を作った経験などが、今の正面光重視ライティングにつながっていると思う。それに引き換え、レンブラントライトに代表される古典的なライティングは基本的にサイドライト(片光)。さてどうしたものか?
 
 額装写真を並べる従来型の「写真展」という見せ方が古いと思ったのは、もう随分前のこと。僕が方法として1996年に試したのは、メイン展示はBookを見せるという方法。この方法は、2013年18年19年と続けているが、今年2019年には大型プリント(タタミ1畳程度)で見せる方法も追加した。それでも写真展という方法に対するネガティブな疑問は払拭できない。ウェブなどモニターで写真を見るのが普通になっている時代背景などあるかも。そして誰でもが自分の思ったときに写真を撮れる環境、写真よりも動画が一般的な情報伝達のイメージ素材になりつつある時代など、写真の価値観が変わってきてるんだろうね。

キーワードは
「圧倒的なリアリティ」→大きさも含め、できれば被写体原寸展示
「絵画的な完成度の低さ」→絵画的な解釈・評価の拒否
「リアリティを放つモノの第三者的な客観的な魅力」→やっぱり興味を持ってもらわなくっちゃあネ。

何を撮るか?という観点で言うと、もっとプライベートな対象というのもアリと、夜中に気づいて書き足した次第、
自分にとっても綺麗事ではない「生」な関心事
綺麗事に整理しないこと

写真展ではなく、プリント展 or 印画展という発想は
自分の大判プリントを展示したことと
Mizuno夫妻の小さな(ハガキ大~以下)パラジウムプリント、特に和紙を使ったプリント展示を見比べたときに思った。

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