2007年12月14日金曜日

12月14日:閑の生かし方。

最近このブログ、
タイトルの背景写真が、自動的にトリミング表示されるので
タイトルから、「スタジオの幾何学的な午後」を削除し
お気に入りの背景写真を、ここに再録してみた。

相変わらず、今日も閑。
ウォーキングする気分までは、立ち直ったが左膝の痛みがまだ心配。
スタジオに出社(一人っきりの会社である)後、
毎月なら18~9日にする支払い=振込みを済ませる。
(やれるときにやっておこう精神)
この中には、Ds3=80万円也も含み、閑なだけに気分は微妙。
スタジオに戻り、
某カメラマン氏のブログにあった、レンズ毎のAFアジャストメントなるものを実行。
Ds3が来たおかげで、そんなことまでやれてしまう。
135mmF2.0はジャスピン、
それ以外は、すべてピントを後ろにというコマンドを15ポイントほど。
その後、
先日撮影で使ったギリシャ柱、大道具やさんが取りに来れないとのことで
キャスティング事務所の社長さんが取りに来られるとメールが入る。
ならば、閑な僕が持って行きますと、、、それをこなす。
車で出たついでに、
毎年の実行できていない懸案=タイヤチェーンを、雪が降る前に購入。
ギリシャ柱を返した後
M氏から聞いた今池の変貌を見ようと、車で流す。
ディープな今池は発見できず、
3時過ぎに「松屋」で、遅いランチ=「キムカル丼」
ジャンクで、不味くはないが
(ジャンクな食べ物って、それなりに美味しいんだ)
こんなもの食べてちゃダメって味!
気持ちが荒むが、小盛りにしてもらったご飯も残さず完食。
店内も、その松屋がある今池の街も、荒んだ風情が漂う。
(この風景、どう写真に撮ればいいか?考えるが、
思い浮かんだのはロバート・フランクのアメリカ人。
(安井先生なら巧く撮れそうでもある。)
さらに車で名古屋下町方面を流す。
冬晴れ師走の町は、なんだか僕に背を向けていて「寂しい」。


馬場君が昔「オーラ」について、
オーラはそれを発しているように見えるものにあるのではなく
オーラを感じる人の頭の中にある、、、という意味のことを言っていた。
きっと、町のたたずまいに感じた寂しさも
町が寂しいのではなく、僕の心が寂しいのだろう。
家へ戻るのはよして、再びスタジオに
「やれることをやっておこう」と、
インフルエンザの予防接種を、道を隔てた向かいの内科医院で打ってもらう。
充実してるような、そうじゃないような微妙な一日。

街を見ていると、自分の世代が生産からも消費からも、
引退しつつあることをひしひしと感じる。
新しい素敵な建築の店を見ても、
そんなにお金をかけて大丈夫?って気がまずするし。
勢いがいいのも、15~20年だよっと、口ごもる。
加齢の悪影響か?
そんな気持ちや、それでもやりたいことを、写真の動機に出来ればいい。
、、、と、頭では考えるのだが。
追記
帰宅すると、女房がウェブにあんまり「閑閑」と書くな、、、と
今日の出来事モロモロ話すと、
僕が帰宅前に、既にこのサイトを見て大方知っていた模様。
僕の動向を知るには、ウェブを見るのが一番だと!
んーん、女房のみを閲覧禁止には出来ないか?

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