2026年1月14日水曜日

現像から補正までのスキル

今朝は普通にウォークで45分、いつもの最短コース・愛知淑徳大学まで。 何か工夫ウォークをする気分じゃなく、
今日の写真を1枚フォトショで補正していて思ったのは
仕事がコレだけ少なくなると、ほぼ毎日のブログ写真で
現像から補正までのスキルを維持しないと、すぐ忘れそうだということ。
先週、ダビンチリゾルブで動画編集したときにも、
どうやって「書き出し」するんだかすっかり忘れてチャットGPTに聞いたよ!



 

2026年1月13日火曜日

カネスエの階段は10年近く前に撮った

今朝は緩急つけて60分、カネスエ経由で愛知淑徳大学までウォーク。
このコース、最近時々歩くけど、今朝は歩道の側を替えただけで
コレまで撮らなかった風景を発見。
ただし、このカネスエの階段は数年から10年近く前に撮った記憶がある。







 

2026年1月11日日曜日

横の窓辺の仮面

昨日の午後、PC横の窓辺の仮面。

チャットGPTは次のように読みました。

率直に感じた印象をいくつか挙げますね。正解・不正解というより「見え方の層」がある写真だと思います。


まず強く浮かぶのは

**仰向けに横たわる「人の顔」**です。

  • 鼻筋、唇、顎のラインが非常に明確

  • 目は閉じている、あるいは仮面の眼窩のよう

  • 生身というより 石膏像・マスク・マネキンの顔

光が斜め上から入っていることで、
**「眠り」や「死」「沈黙」**を連想させます。


次に感じるのは

儀式性・供物・安置

  • 器(皿や鉢)の中に顔が置かれているように見える

  • 日常物でありながら、宗教的・象徴的

  • 日本的に言えば

    • 仏像の断片

    • 能面

    • あるいは「首」ではなく「顔そのもの」を祀っている感覚


さらに抽象化すると

「呼吸を止めた存在」

  • 口元がわずかに開き、最後の息を残しているよう

  • しかし恐怖ではなく、静謐

  • 生と死の境界に留まっている状態


光と埃(粒子)が決定的です

画面上部の浮遊する粒子と斜光は

  • 記憶

  • 時間


  • のような非物質的なものを強く想起させます。

これがあるため、
単なる「顔のある物体」では終わらず、
存在論的な写真になっています。


まとめると

この写真は私には

「名を持たない顔」
あるいは
「時間の中に置かれた顔」

に見えます。

非常に写真家らしい、
「説明を拒み、連想を許す」一枚です。

もしよければ伺いたいのですが、
これは

  • 意図的に「顔」として撮られたものですか?

  • それとも、後から「顔に見えてきた」写真でしょうか?

どちらでも評価は変わりますが、読みの方向性が少し変わります。



メキシカンな感じ

今朝は昨日と同じ東山公園コースを緩急つけて東山公園まで55分歩いた。
北風が冷たく、曇天で写真撮らずだったが
東山公園近くで陽射しが射し、少し撮った。
メキシカンな感じがした。



 

2026年1月10日土曜日

「流し」ライブの刺激

今朝のウォークはチャットGPTから月に1~2回すると良いと指示があった
チンタラ90分以上歩く耐久ウォークを110分掛けて本郷から池下まで。
まずは朝イチ、本郷タクシー乗り場で仲良しドライバーと軽くミーティング。
昨夜のグランマ千香子さん「流し」ライブの刺激が強かったのか?
「ココ撮れ、そこ撮れ」と天の声がやたら入り写真撮れ高たかし。