2008年12月7日日曜日

僕の習作

以下、同じような写真が17枚。
昨日撮った、僕の習作である。
写真の並び順は、時系列と反対になってしまった。

僕の中で、何が「習」かといえば、
もちろんこれまでにもその手法は散々使っているのだが
ファインダーの中で、ピントがぼけている方が
気分にピッタリくると思ったら、ボケたままで撮ろうという部分である。

先日、某スタイリスト事務所の年賀状撮影をしている時
カメラ背面のモニターのライブビューを見ながら撮影したのだが、

本来撮ろうと思っている設定とは違う色、明るさで映し出される「ライブビュー」の方が面白く
ライブビューのように写る設定に、完全ではないが撮影設定をシフトした。
正直言うと、情けない状況だが
これが、コンデジの撮影作法だなっと

改めて納得した次第。
習作は、光学ファインダーごしに撮っている。


















写真家に、写真を「見て欲しい」といわれた時や
写真展で作者とお話する機会がある時
好きな点と、改善した方がよいと思う点を
それぞれ見つけ、併記するように、指摘することにしている。
その写真群が技術的に問題があるかどうか?
作者の気分や主張が、僕に伝わるかどうか、写真に写っているかどうか?
その上で、その写真が世間で評価されるに値するかどうか?

作者が評価される事を望んでいない場合もある。
つまり、作者は自分の気分や関心を写真にしたまでで
世間がそれをどう見ようと、それには関心がない場合である。
しかし建前はそうであっても、作者が若い場合
心の片隅に、「それらの写真」で自分を評価してもらいたい期待を
持っていることは想像に難くない。
(ただし、世評を気にしないという建前=志も、本当に大事だと思う)

他人や世間が写真を評価するということは
写真が、他者に何かの影響を与える
たとえば感動だったり、、、、
写真が人を気分よくさせる
写真が、人の役に立つ
(たとえば、商品をより美しく見せることによって、よりたくさん売れる)
他者に、何らかの影響を与えられるかどうかが
他者からの評価に繋がる。
作者が、もっぱら他者の関心を引くことだけを目的に
写真を撮る場合もある、たとえば一般的な広告写真。
その場合一般的に
作者は、写真と引きかえに受け取る報酬で幸せになる。
もちろん写真の出来具合への賞賛も、作者を幸せな気分にする。 
作者が、もっぱら自分の関心を具現化するために写真を撮る場合もある。
それは、シリアスフォトというジャンルに分類される。
作者は、自分の思ったとおりの仕上がりに満足できるかもしれない。
シニカルにいえば、自己満足である。
さらに、それが評価されれば
賞賛を甘受も出来るかも知れない。
自分の関心と、他者の関心を
シンクロさせることが出来れば
自己満足と、報酬と、賞賛が得られる可能性は高くなる。
自分の関心を曲げず、他者の関心に
チューニングするのも「スキル」だと思う。
僕に関していうと
いわゆるディレクタやクライアント、つまり客から
「お題」をいただくのが好きだ。
出来れば「被写体」も、、、
それをどう「料理」するか?
そこに自分の感性とスキルを投入する。
ま、仕事の話ではあるし
まさに仕事のスタイルではある。

先日、写真を目指す若者二人と会い、お話したことで
インスパイアーされ、思ったことを
まとめてみたのが上記である。
二人のうちの一人Kjさん、
彼女の撮った写真、ファイルブックが一冊。
ソフトカバーに製本された学部の卒業制作が一冊。
ハードカバーに製本された、コンパクトデジタルで撮られた写真が一冊。
今、大学院の終了制作をまとめているところだと言う。

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