2008年6月6日金曜日

スイッチが入ったか?

GIRIという名の友人からメールが来た。
彼は、立派な日本人:高校の同級生である。
GIRIというのは、OSHOが授けた名前。
、、、意味不明の人は跳ばしてください。
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世界の裏の動きーロスチャイルド家を中心とした世界支配ーを暴いています。
この前話した たけし の番組も LINKされてました。
いっぱいヴィデオがLINKされていて面白い。
右クリックから、新しいウィンドウで以下のリンクを開いてください。
http://www.anti-rothschild.net/index.html
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そのサイト、少し読んで見た。
扇情的なタイトル・ありがちな話だが、
おおむね、僕の世界観と合致する。
夕方、スーパーで買い物をするが
そこに売っている食品が、ゴミに見えて仕方ない。
ロスチャイルド家に代表される「影の支配者」に
収奪されるのみの、極東の小島の「庶民」=ほぼ家畜かゴミだ。
その、家畜のような我らが食べる「食品」、
これもほぼゴミまたは餌に見えてくるのだ。


、、、まぁ、そう悲観してばかりでもない。
もっとも、ロスチャイルド家の支配に抗うほどの意気も時間も無い。
こんな支配構造の世界に生きていることを自覚し、
とりあえず、自分のいる場所、自分の生きている時間を
どう「波乗り」こなすか?
そんなことを考えるのが精一杯。
それでいいのかもしれない!


「グローバルに考え、ローカルに行動する!」んだったっけ?


さて、来週
東京都写真美術館でやっている森山大道の写真展、
プリントを見に行く?
、、、それを考えたのは先週。
今週になって、
急に現実味を帯びてきた。
ふいに、跳び込んできた仕事の打ち合わせに
月曜日、東京まで出かけなければいけない。
月曜日=美術館は休みだが、一泊してでも見ようか?
そういう問題になってきた。


実は、森山大道、、、アシスタントを志望したほど大ファンだった。
(70年代当時、都立大前と言う駅にあった彼の仕事場=小さなアパートに押しかけたことがある)
というか、彼は超カリスマなので
アシスタントを志望した若者の数など、数知れずだとは思う。
もちろん、90年代以降の活躍も注目し、且つファンでもある。
だが、彼のプリントを見ることに、僕はそれほど興味を持っていない。

僕は、森山大道の写真は印刷物を見る「写真」だと思っている。
多分、かの70年代
森山自身も、プリントを直接見せる媒体として
考えていなかったのではないか?
(印刷原稿としてのプリント=中間媒体)
多分、当時「オリジナルプリント」という概念は
日本の写真界にあったのだろうか?
逆に、僕は「オリジナル・プリント」という言葉の響きに
商業的な胡散臭さを感じてしまう。
森山ら「プロヴォーグ」と言うグループが、標榜していた「写真」は
ワルター・ベンヤミンの「複製技術時代の芸術」アタリを引用し
タブローの持つアウラ(多分オーラと同意)を、
むしろ否定していたはずだから
「オリジナルプリント」を有難がる=アートビジネスなどとは無縁だったはずだ。
他の傍証からも、想像するに
プリントを見ることの意義は、あまり期待していないのだ。
(前に見たこともあるし、どこかのラボが焼いた大伸ばしのプリントはノーグッドだった)
、、、まぁ、そんなことはイイとして
僕にどんな刺激を与えてくれるのか?
楽しみだったり、懐疑的だったりする。
以下、
決して森山の影響を受けていないとはいえない=僕が撮った
70年代の写真数枚。











ウォーキング!、なかなか再開出来ない。
微熱感は相当とれたが、気分が向かない。
困ったものである、、、逆に今は不要なのかもしれない。
酒量削減は、そこそこ出来ている。

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